燕温泉という秘湯【信越北陸一人旅⑬】
目が覚めたのは、朝5時過ぎ。
今回泊まった「道の駅 しなの」は長野県の北の方。野尻湖に近い。
野尻湖は、湖底からナウマンゾウの化石が発掘されたことで有名だ。なんでも、約3万年前までナウマンゾウがこの野尻湖周辺にいたとされる。という話は、国内旅行業務取扱管理者の勉強をしている時に覚えた知識だ。旅の予定を立てる際、野尻湖の文字を見た時は「あの時勉強したやつだ」と、受験生が「進研ゼミに出たやつだ」みたいなテンションになった。
僕はこの日は長野県を抜けて新潟県に入るつもりでいた。そこでせっかくなら野尻湖周辺を通って新潟に行こうと考えていた。今日はきっと綺麗な湖が見られるのだろう。開いたばかりの目をこすって、外の空気を吸いに車の外に出ると、空は昨日の快晴からは想像がつかないぐらい曇っていた。曇天中の曇天だ。今日のこの天気を知った時、頭の中で描いていた綺麗な野尻湖の風景が木っ端微塵に砕け散った。
車内を少し片付け、道の駅のトイレで顔を洗って用を済ませた。この天気ではテンションが上がらないなぁ。まあでも雨が降ってないだけマシと考えよう。車のエンジンをかけ、少しエンジンを暖気してから道の駅を出発した。
野尻湖の駐車場までは車で10分くらいだった。水辺に広々とした駐車場が用意されており、まだ時間も5時台ということでかなり空いていたので適当な場所に車を停めた。そこで見た野尻湖の風景は、もちろん曇天だった。遠くの山には少し霧がかかっているのも見える。風はないため湖は静かで、たまに鳥の鳴き声が響く。湖の水はもっと青いのかと思っていたが、綺麗な青い水ってよりかは少し濁ったグレーの水だった。湖を見ながらしばらくぼーっとした。思い描いていた野尻湖の風景とは別物だったが、このぼーっとする時間はなんかよかったかもしれない。
駐車場の近辺を少し歩いてみると、釣り人たちが釣りの準備をしながらしゃべっていた。一部の釣り人はまだ開いていない売店にある椅子に座って缶コーヒーとタバコのコンボを味わいながら談笑を楽しんでいた。みんなそこそこのおじさんだったけど、若者のように楽しそうだった。仲間同士で集まって笑い合ってる時のエネルギーは、おじさんも若者もそう変わらないのかもしれない。
野尻湖の天気は回復しなそうなので、さっさと移動することにした。よく考えたら野尻湖の駐車場はそこそこ広いしトイレもあったので、ここで車中泊もできたんじゃないかとも思った。
まだまだ時間が早いということで道路がとても空いている。野尻湖を後にした僕は新潟県妙高市に入った。新潟県に入った瞬間、雲と山々の間から朝日が見えた。妙高高原ICのそばのトンネルをくぐると雲は一気に減り、その道は完全に朝日に照らされていた。さっきまでの曇天はどこへ行ったのか。とにかく、晴れてくれて嬉しい。
新潟県に入ってまず最初に向かったのは、燕温泉。妙高高原にある温泉の中で最も標高が高い場所にある温泉だ。燕温泉は秘湯であり、かつて上杉謙信が隠れ湯としていたともいわれている。燕温泉の存在は以前から知っていたのでいつか行ってみたいと思っていた温泉の一つだ。妙高の中心街を抜け、上り坂を上って燕温泉の方へ向かう。そういえば妙高は、学生時代何度もスノボをしに訪れた町だが、こうやってただの観光でやって来るのは初めてだ。
カーナビに従って走っていると、カーナビが示す道が通行止めになっていた。燕温泉に向かうためには迂回をしなければならないということで、ナビが示すルートとは別の道を通って温泉へ向かった。すると途中、スポーツウェアとゼッケンを着たおじさんに車を止められた。どうやらこの日はその先でトレッキングのレースが行われているらしく、通行してもいいけど徐行でお願いしますとおじさんに言われた。そんな道を車で通るのはちょっと申し訳ない感じがしたが、燕温泉に行くにはそのレースが行われているルートを通らないといけない。トレッキングのスタッフの方に「わかりました」と言って、道路の端を走るランナー達の横を若干申し訳なさそうな顔をしながらゆっくりと通った。
トレッキングのコースを抜けると、関温泉の温泉街に出た。山間の道路の左右に旅館が立ち並んでおり、「日帰り入浴可能」と書かれた旅館もちらほらと見かけた。でも、まだ6時台だしさすがに入れてくれないだろうなと思った。元々関温泉を通る予定はなかったので、温泉街の雰囲気を感じ取れるだけでも十分嬉しかった。
関温泉を抜け、くねくねといた山道をしばらく上り続けると、燕温泉の駐車場が姿を現した。坂を上っている時はまったく対向車とすれ違わなかったが、駐車場には多くの車が停まっていた。燕温泉には温泉以外にも妙高山という山の登山口があり、登山目的で燕温泉にやって来る観光客も多いらしい。朝から車が多いのは、登山客も混ざっているからだろう。案の定駐車場に車を停めて温泉街の方へ歩いていると、車の前で登山用の靴に履き替えているグループも見かけた。ああいうガチ登山靴、僕もほしいなぁと思いながら温泉街に向かって歩いた。駐車場から温泉街までは結構な坂道だった。
温泉街に着いた。まだスキーのシーズンではないからか、閑散としている。というかちょっと寂れている。正面には大きな山が見える。おそらくあれが妙高山だろう。その妙高山に向かって温泉街の中心に道が通っている。横に立ち並ぶ旅館たちがあまりにも寂れた様子だったので、どちらかというと温泉街に登山道が通っているというよりかは、登山道の脇に温泉街がある、というような表現の方が合っている気がした。秘湯だからこそ来る人が少ないのかもしれないけど、日本に数多くある寂れた温泉街にも、本当はもっとスポットライトが当たってほしいなぁと思う。有名な温泉地だけが活気付いて、マニアックな温泉地が寂れていくのはある意味仕方のないことなのかもしれないが、今は寂れた温泉街でもかつてはもっと栄えていたのだろうと考えると、個人的にはちょっと寂しい。
燕温泉には、旅館の温泉以外にも「黄金の湯」と「河原の湯」という無料の露天風呂がある。今回の僕の目的はその黄金の湯だった。河原の湯も入りたかったがこの日は工事中で入ることができないらしい。温泉街を横目に、整備された登山道を歩き始めた。温泉街もそこそこの坂道なので、朝からちょっとした運動になるなぁと思った。少し歩くと旅館は見えなくなり、青い空と緑が視界のほとんどを埋め尽くす本格的な登山道が始まった。相変わらずの坂道を歩いていると、たまに向こうからタオルを持ってさっぱりとした顔をした人とすれ違う。おそらく温泉に入った後なのだろう。僕も早く入りたい。上り坂を上り続けてちょっとキツくなってきたが、目と鼻の先にあるであろう秘湯を目指して足を進めた。「黄金の湯」という看板が見えたので、もうすぐだろう。
駐車場から歩き続けること15分くらいだろうか。ついに黄金の湯に到着した。温泉の入り口に建物はなく、雑多に男湯と女湯を分ける文字が石に刻まれている。この雑多な感じが秘湯感を感じさせる良いスパイスになっている。
「男」と書かれた文字が示す矢印に従ってそちらに向かう。すると、その秘湯はあった。石で作られた露天風呂が山の木々を背中に野晒しになっている。そのお湯は白と水色の間のような濁った色をしており、お湯自体が黄金なわけではないようだった。洗い場などは当然のようになく、あるのは使い込まれた桶とハエ叩きだけだった。この野晒しっぷりはマジで秘湯だ。普段生活している場所では絶対に遭遇することのない景色に心が昂る。
露天風呂の前には一応簡易的で小さい脱衣場があり、僕の他に2人の男性がその脱衣場で入浴の準備をしていた。この時は誰も温泉に浸かっていなかったということで2人ともスマホで温泉の写真を撮っていた。僕も同じように写真を撮った。
脱衣所で服を脱ぎ全裸になる。場所があまりにも野晒しなので服を脱ぐ時一瞬だけ若干の抵抗を感じた。その割には同じ場所にいた他の男性よりも僕が一番全裸になるのが早かったのでお先に温泉をいただくことにした。地面に置かれた桶で掛け湯をする。どうやらお湯の温度はそこまで高くないらしい。3〜4杯身体にかけて身体を慣らし、いざ入浴した。掛け湯で感じたとおり少しぬるめだけど入りやすい温度だ。お湯そのものがトロッとしており、温泉の成分のせいか浴槽の底がちょっと滑る。浴槽が浅かったので肩まで浸かるには仰向けでほぼ寝るような体勢をとる必要があった。普段なかなかしない体勢で腰痛にならないか心配になったが、この温泉の成分がきっとなんとかしてくれるだろう。変な体勢だけど、気持ち良い。風呂に屋根はないが周りの木々と岩があるおかげで良い感じに日陰になっていた。他の男性も続けて温泉に入ってきて、3人で無言のまま各々温泉を満喫した。
お湯の温度がそこまで高くないのでいつまででも入れてしまいそうな気がしたが、10分くらい入ってお湯から上がった。ただの温泉ではなく、秘湯の温泉に入れたことで満足感は大きい。でも日本にはここ以上に辺鄙な場所にある秘湯もあるのかもしれないから、そこに行った温泉マニアから「燕温泉ごときで喜んでんじゃねぇ」とか言われるかもしれない。そんなことをもし言われたら鬼越トマホークの坂井みたいに「うるせぇな!」って言い返してやる。
持ってきたタオルで身体を拭き、服を着た。服を着ている途中、新たな男性が脱衣所にやって来た。この時温泉に浸かっている人がいるため、写真を撮ることはマナー違反だろう。さっき写真を撮れたのは、本当にラッキーだった。
黄金の湯を出て、さっき上って来た登山道を下って駐車場に戻った。新潟県の旅は、まだ始まったばかりだ。
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