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看取り介護の世界

「皮膚がやぶけて水が出てくるん」

親が淡々と吐くその言葉に、私は興味のないふりをしていた。

母が介護職を始めて2年ほど経つ。お菓子工場から一転、母がなぜ突然老人ホームで働き始めたのか、はじめはよく分からなかった。

普段母は、介護職の仕事のことをあれこれどうでこうでとかは話さない。たまに、また一人死んでしまったと、溢れ出たように口から垂らすだけだ。

私は、本当に知らない。病気であれなんであれ、人が目の前で死んでいくという光景を知らない。呼吸するのに酸素が必要な人というのを見たことがない。最後に食べたいものはなんですかと死にかけの人に聞いたこともない。それで、イチゴが欲しいと言われたことも、イチゴをあげたらありがとうと最後の力を振り絞って笑ってくれたという体験もない。私は、本当になにも、知らない。

親はそんなエピソードを、不謹慎かもしれないが、愛おしそうに話す。また二人逝ってしまったと言いながらも、懐かしむように、穏やかに、昼下がりにぴったりの口調で話す。


人は死ぬときどんな顔をするんだろうと考える。怖くないのかなと思う。痛くないのかなとも思う。自分だけそこに置いていかれるような気持ちにはならないだろうか。寂しくて潰れそうな気持ちになることはないだろうか。知りたいと思う。いつか自分に訪れる死のために心の準備がしたいという、私のエゴ。


母は寂しがり屋だ。寂しがり屋でお調子者で涙もろくて気遣いができない。危うすぎて、誰かが見てないと目の前の崖からヒョイっと落ちそうな、そんな感じ。

そんな母がなぜ介護職を選んだのかという問いに、ひとつだけ思い当たる節がある。それは、母の母、私の祖母が関係していると思う。

祖母は私の母の祖国に住んでいる。山奥の田舎で一人暮らし。電話がうるさいからと電話線を抜いておくようなとんでもねえ人で、玄関は常に開け放してあり、庭にはハンモックが雑に取り付けられている家に住んでいた。食用の鶏なんかもいた。

祖母が老人ホームへ入ったのはいつだったか忘れたが、老人ホームでの祖母の行動を伯父が動画に撮り、たまに母のLINEへ送ってくれる。それを家族みんなで集まって観たりする。遠く離れた国だけれど、わかる。祖母はもう長くない。それが私の目にもわかるのだから、母にはもっと、痛いくらいにわかるのだろう。

だからではないかな、と、たまに思う。祖母と同じくらいの年齢の人たちを世話する。話す、遊ぶ、同じ時を過ごす。それが母にとっては精一杯の、祖母への気持ちなんではないかと思うのだ。


「皮膚がやぶけて水が出てくるん」

入居者の最後の話を、母はこんなに穏やかで、爽やかな風が吹く中話す。

きっと死は悲しいものじゃないから。母はそれをもう知ったから。

いつか訪れる大切な人の死に向かって、母は今日も、笑ってる。

そんな母はやっぱり寂しがり屋だ。死に向かっているように見せて一番逃げているのは母だ。


私はそんな母の生き方が、人間らしくて好きだ。

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