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興福寺すぐ奈良から京都へ「隼神社/手力雄神社/八王子・四之宮神社」山幸海幸の兄弟【やすらぎの道シリーズ】【奈良まちシリーズ】
奈良のやすらぎ通りから興福寺へ、ふと右を見ると神社発見。行くと「隼神社」が??レアな神社だと思っていた京都・隼神社と同じだ。京都・隼神社の祭神はタケミカヅチとフツヌシで不思議に思っていたのだが、ここと繋がっていたんだ・・そうなんだ。。そして、春日隠しか?と思うほど小さいながらも歴史を語る神社があった。
やすらぎの道は次の通り。
変更履歴
2023/07/19 初版
▼HP、▼アクセス、▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
やすらぎの通りから興福寺へ!
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▽隼神社&延命地蔵:奈良県奈良市角振新屋町44
三条を通り興福寺へ!なんかあるな!
奈良市の目抜通り「三条通」の脇に鎮座する社で興福寺からだと気づかないかも。
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「隼神社」は別名「椿本神社」で、祭神は「隼総別命」という神様。たぶん初めて出会うかと。
祭神は別名「角振隼総明神・角振隼総別命」とも呼ばれ、角振神と隼神の2柱を指すとか。角振神は火酢芹命の御子とされ、『古事記』のみに記載される紙で、海幸彦の弟、山幸彦の兄である。
![](https://assets.st-note.com/img/1678627727148-5VCacdvuGh.jpg?width=800)
創建は舒明天皇の時代、当時の貴族である茅渟王(舒明天皇は異母弟)に奉勅して現在の地に祀ったとされています。平安遷都に伴い分祀されて平安京中の隼神社(現在の梛神社の境内に鎮座する隼神社)になったとされています(諸説あり)。
その後、平安時代末に平重衡によって炎上、再建するも建治四年(1278)の興福寺の大火の際に類焼し、それ以降は現在の小さな祠の様になりました。
境内には御神木があり、柿の枯樹に注連縄を張って神木とし、傍に新しい柿の木も植えられています。柳が神木であったこともあるとされています。
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(ノ・ω・)ノオオオォォォ-知らんかった~。角振大神は、山幸彦(彦火火出見)の兄、海幸彦(火酢芹)の御子神なんだそうな。海幸彦は、隼人の祖神なので、隼人の集団がこの地に流れたのか。
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堂内には「地蔵菩薩半跏像」が安置されているようです。
ちなみに京都の四条大宮に「隼神社」がある。壬生寺近くに・・壬生寺と言えば「延命地蔵」。。そしてここにも・・・延命地蔵が・・・。
ただ京都の梛神社・隼神社は「角振明神」ではなくタケミカヅチとフツヌシが祭神なんですよね。匂うな~・・・。
ちなみに、春日大社の境内末社に「椿本神社」があり、祭神は「角振明神」のようで同じですね。やっぱ、奈良・隼神社(椿本神社)と京都・隼神社は何かあるんだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1678629552949-AXZX7ist7z.png?width=800)
そして、帰宅して由緒の写真をよく見ると、「舒明天皇の御世に茅努王の勅により近辺に祀られる。平安遷都とともに京に遷る」とある。移った先はどこだろうか??最終的に今の梛神社・隼神社なのか??
▽手力雄神社:奈良県奈良市橋本町39
春日大社の境外末社のようです。場所からこちらに書いておきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1678627834317-lFXaBdc6Nb.jpg?width=800)
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![](https://assets.st-note.com/img/1678627834480-2YIm5zbJmM.jpg?width=800)
https://www.youtube.com/watch?v=Wqr0_bhLPTM
![](https://assets.st-note.com/img/1678627834221-8BxDmfeJFR.jpg?width=800)
▽八王子・四之室神社:奈良県奈良市元林院町
「四之室辻子(しのむろのずし、よのむろのずし)」にあり、祭神は八柱御子神・姫大神です。
![](https://assets.st-note.com/img/1678628219221-lBC8KvRWoF.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1678628224826-ibzJ7uBGEZ.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1678628230485-Sw6RBGUJOu.jpg?width=800)
【八王子 四之室 神社】
当神社は、八王子・四之室(よのむろ)の両社をお祭りしております。八王子社の祭神は素盞鳴尊(スサノオ)の八人の御子神様、四之室社の祭神は春日大社 第四殿の姫大神様です。
両社の創建時期は明らかではありませんが、江戸期以前と考えられています。江戸時代、両社は当町の別々の場所に祀られていましたが、明治の始め教部省の達しにより、当町の氏神 氷室神社に合祀されました。
しかし、明治23年(1890年)に町民こぞって御帰還を乞い、この場所に合わせお祭り致しました。明治34年(1901年)6月10日夜、当町内の民家より出火し、全町を延焼する火勢で町の住民は狼狽するばかりでしたが、不思議と当神社裏で鎮火し、住民は当社の御加護と感謝し、より一層お祭りを続けてまいりました。
八王子神社の神様は商売繁盛・息災延命・子孫繁栄・五穀豊穣に御利益があり、四之室神社の姫大神様は文武の内の文を司る学問・芸術・文芸・芸能の神様です。毎年7月31日に宵宮祭、8月1日に本祭を執り行っております。
氷室神社に遷された歴史があるんですね。ただ、元に戻したというのが面白いです。結構、ありますよね。
▼旅行記、▼セットで行くところ
▼仏像展
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