ひとつの山にある複数の登山ルート

アナタは富士山に登ったことがあるだろうか? 私は小学生の頃に養父と登ったことがある。33年に一度のご利益があるとされる年だった。富士山には4つの登山ルートがあるが、どのルートだったかは記憶が曖昧になってしまっている。頂上の火口を見た後は須走ルートで下山したのだけは記憶している。

これは宗教の話なので、富士山登山の思い出話はこのくらいにする。宗教と宗教が対立して戦争や紛争に発展した歴史は数え切れないほどある。宗教が原因で迫害が起こることもある。この話を知ったら、そう言ったことがバカバカしくなるだろう。聖書預言だそうだが、いずれ世界の宗教はひとつになる。

1つの宗教だけが残ると言ったものではない。いくつもある宗教が、それぞれの悪いものを棄て、それぞれの良いものを残すカタチで統合するのである。今は、全ての宗教がどこかにおいて間違いを内包している状態である。ものみの塔(エホバの証人)は彼らこそが正しい宗教と主張するが、そう言った宗教は存在していないはずである。

ひとつの山の頂上をめざして登山をしているわけだが、別のグループが別の登山ルートから同じ山の頂上をめざしているように喩えられる。その山が富士山だとしよう。吉田ルートから登っているグループもあれば、須走ルートから登っているグループもあると言った感じだ。御殿場ルートから登ることもできるし、富士宮ルートで登ることも可能である。前人未踏のルートを開拓するのでも良いのだ。

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