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悪の誘惑に敢えて負けてみると・・・

以前に何かで読んだのだと思うのですが、
自分を高める為に敢えて徹底的に悪習慣に
浸ってみるという考え方があるそうです。

良いことを追求して自らを高める

自分を高める一般的な考え方は、
例えば、人間的に成長する為に、
古典や良書を読み道徳的なことを学び、
良い行いを積み重ねて、利他の心で
仕事を頑張って人や社会に貢献する・・・
といったイメージではないでしょうか。
そうやってより良い人間になるべく、
または、より良い人間として生きていく
ことを実践している立派な人達は、
たくさんいることでしょう。
 
で、自分に厳しく生きて、
でも人なのでたまに誘惑に負けて失敗して、
反省して更に自分を高めるべく努力する、、、
そのような人間らしい姿が、
まじめに生きようとする多くの人々の
一般的な生き方ですよね。

まじめだけでは超えられない大人の壁

ただ、まじめに生きるだけでは、
どうも人間的な厚みが得られないように
見受けられることもあります。
(もちろん、そうでない人もいます)
 
なぜでしょうか。
 
例えば、何十年も前のことですが、
私の知り合いに飲酒は悪いことだと考えて、
アルコールは一切飲まないと決めている人々がいました。
 
その人達は強い意志を持ってお酒は飲まないと
決めていると公言していて、その理由を聞くと、
まぁ確かに道徳的に確かに正しいことを
言っているとは感じはしました。

でも、当時の私はどうも共感できなかったのです。
 
お酒を飲んだことも無ければ、
酔って失敗したこともないのに、
飲酒を悪いことだと決めつけてお酒を避けても、
「知らにくせに、悪いことだと言えるのか?」
という疑問を私は払しょく出来ませんでした。
 
まるで、知識だけで実践経験が伴っていない
頭でっかちで子供っぽい意見に聞こえたのです。
世の中のこともろくに知らないくせに、、、と。
(失礼な言い方ですよね、若気のいたりでしたw)
 
ま、私の反応を平たく解説すれば、
自分が経験もしていなくて、
本当の意味で理解できていないことを語っても、
他人を感化することは出来ないということでしょう。
 
さて、そのお酒を飲む飲まないについて言えば、
禁酒しても、飲酒しても、
他人に迷惑を掛けない限りは自由です。
 
ただ、禁酒すると固く誓ったとしても、
経験していなくて真に理解出来ていないことを
意思の力だけで貫くことは無理でしょう。
人はそんなに強くないです。
私個人的には飲んだことも無いお酒を禁酒する人々は
いつかお酒で失敗するのではないかな、と思います。
(で、学ぶのかも知れませんね)

敢えて誘惑に負けて、悪習慣にどっぷりつかってみる

冒頭に少し書きましたが、
正しい人間になる為に、
あえて悪い習慣にどっぷりとつかってみる
という方法があるそうです。
 
自分の悪い欲望や誘惑にあえて負けてみて
その悪習慣をとことんやってみるそうです。
(違法なことや他人に迷惑をかけることは別にして、
であるべきと思いますが)
 
中途半端にたしなむのではなく、
とことん一時期だけはまってみるそうです。
 
そうしてから、その一連の行いを振り返ります。
すると、その魅力的に見えた悪さや悪い習慣が、
「期待していたほど楽しいものではない」ことや、
「そこまでしなくても満足できる」ことを
悟ることができるそうです。
 
こうして経験して悟ることが出来れば、
それ以降は自分を上手にコントロールできる
ようになると言います。

人の意思は弱い

正しくあろうとすることは、
立派なことですし、
人はそう努力することがあるべき姿かな、
と私は思います。
 
ただ、悪習慣や誘惑を“がまん”するだけで
正しくあろうとするのでは、
いつかは悪の誘惑に負けて大きな失敗に
繋がってしまうかも知れません。
 
少なくとも言えることは、
人の意思は弱いということです。
まずは自分の弱さを理解した上で、
その弱さとどう付き合っていくことが
必要かな、と私は思います。

そうすると自分をコントロールする為に、
上述のような「敢えて誘惑に負けてみる」
「いったん悪習慣にどっぷりはまってみる」
という方法があるのでしょう。

実践してみるのは勇気がいりますが💦

(2023年5月15日)
山本恵亮
1級キャリアコンサルティング技能士

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