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湯たんぽの思い出。そして、少子化についての個人的意見。

思い出話を、少し。

画像は、小さめの湯たんぽ。
三代前のペットの介護に使うつもりで購入して、結局使わないまま◯年放置してたもの。
初めてお湯を入れてみました。

湯たんぽと言えば、思い出すこと。

実家に居た頃、毎晩、祖母に湯たんぽとポットを用意していました。
主に母がしていたのだけど、父の帰宅時間と重なると、祖母関連のことには母は動けなくなるので、わたしが。

うちは、祖母(母の母)と父が大層険悪で、とても歪んだ家庭でした。
年々仲が悪くなり、父は祖母の気配すらも感じたくないようでした。
祖母は、そこまで嫌われているとは思ってなかったと思います。母が気付かせないように手を回していたから。手が足りない時はわたしを使って。
それでも祖母は、父の態度に常に腹を立てていました。

ガスコンロで大きなヤカン二つにチンチンに沸かして、一つは金属の湯たんぽへ、もう一つはポットへ。
ヤカンは二つとも空になる。
せっかく沸かしたお湯が丸々空になるのが、毎回、無性に腹立たしかったものです。

そしてその重い湯たんぽを湯たんぽカバー(わたしが縫ったもの)にくるみ、ポットと共に階段を上がって二階の祖母の部屋へ。

お礼とか口では言ってくれてたと思うけど、正直、全く覚えてないです。
引き止められて、毎度同じどうしょうもない体の愚痴や、父の悪口を聞かされるのが嫌だったので、祖母の部屋に入る時には、とにかくどうやって早く去るかを常に考えていた気がします。

今、思うこと。

湯たんぽと言うと、何とも言えない気持ちになるのは、この思い出によるところです。
今、自分で用意した湯たんぽに足を乗っけてるけど、快適です。

そういえば、一人暮らしを始めた時、自分以外の面倒を見なくて良いことが、心底楽だと思いました。

母はアイデンティティが親孝行みたいな人だった(今から思えば、そう育てられていた)ので、祖母に良かれと思って細かく世話を焼いていました。

けれども、人は何かをしてもらうことに慣れると、それが当たり前、無いと腹を立てるようになります。

程度は人によりますが、感謝の気持ちを持ち続けるのは難しいのです。

病弱な母親の晩年を悔いなく世話をしたい、との母の希望から始まった同居は、30年続きました。

20年、母の愚痴をわたしは聞き続けました。祖母が認知症になり、施設に入ってからは「悔いないお世話」が再び出来るようになっていたように見えました。

やり遂げた気持ちに上書きされて本人は忘れても、はけ口であったわたしは向けられた愚痴や鬱憤を忘れることは出来ません。

金銭では解決できない少子化の原因。

自分の経験と、周りを見ていての私見です

昨今、育った家庭に起因するメンタルの問題を抱える人や毒親というフレーズ、よく目にします。

わたしたち団塊ジュニア世代は、当然のように結婚した親に、当然のように持たれた子どもです。

結婚に向いていなくても、子どもに興味がなくても、とりあえず結婚して子どもを持つのが一般的だったと思います。

結果、険悪な家庭で育った子ども、ろくな育てられ方をしなかった子ども、家庭や夫婦に嫌悪を感じる子どもが今より多かったのではないでしょうか

そういう子どもが大人になって、結婚して子どもを持ちたいと思うでしょうか。

無理に結婚しても、無理に子どもを作っても、うまく行きません。
結局は「愛」が一番大切です。

それが分かっている未婚、子無しの人たちは、金銭では動きません。

家庭内が平和で仲良くあること、子どもに愚痴や悪口を言わないこと。子どもを大切に育て、心身健やかな大人になってもらうこと。

少子化の解決は、今現在育っている途中の、次の世代に託す以外に無いと思います。

幸せなカップル、幸せな家庭、幸せな地域、幸せな国、幸せな世界。
自分の近くの小さなところから、幸せの輪を広げなくてはなりません。

そういう幸せな世界の住民なら、自然と子どもを作り育てたくなるでしょう。

それでお金が貰えるなら、さらにヨシだけど。


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