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人を道具にしない

こんにちは、やんちゃんです🍫人は道具じゃない。そんなの当たり前ですよね。でもね、多くの人は気づかぬうちに相手を道具にしています。道具って言うとちょっとわかりにくいけど、つまり道具ってのは自分にとって便利に使えるもの。だから、相手を自分にとって都合のいいように見ているってことです。


人から物になる宿命を背負っている


人の関わりは2種類あります。人と人、人と物。そして、この関わりはどちらか1つではなく、常に行ったり来たりしてます。


初めて出会った人との関わりって、白紙の相手としてクリアな状態で関わっていますよね。これは相手をジャッジせず、判断せず、ただ目の前にいる人を目の前の人として認識し、今この瞬間の関わりで関わっているってこと
。人と人。


でも、少し関わりが進んでいくと相手の事を、この人はこうゆう人なんだ、と、自分の理解しやすいラベルを貼っていくでしょ。そして、話が終わってしまえば、あの人は○○な人。なんて自分の理解の枠の中に収めてしまうわけです。人と物。

これが悪いってわけではなくて、人はそういう風に出来ているし、無意識にそういう風に人を見ている、という事です。


自分の判断であると知ることから


人は相手の全てを見る事は出来ない。限りなくそうであるっぽく感じる事は出来るけど、どんなに相手の事を知っていると思っても、絶対にその人の想いを同じように感じる事は出来ないからです。


言い換えてみれば、相手は○○である、と思っていることは全て自分が勝手に都合よく解釈していること。都合よく、ってのがポイントで、それって自分が見たい所を見たいようにしか見ていないってことなんです。

何度も言うけど、それが悪いんじゃない。そういう風に出来ているんです。だから、自分が見ている相手は自分の勝手な判断なんだと知ることから始めないと段々関わりにズレが生まれてくる。


人と物を人と人へ


人と物になることは人間の宿命であるけれど諦めちゃいけん。人と人から人と物になることが出来るなら、人と物を人と人の関係に戻すことだって出来るでしょ。それは、一瞬の事かもしれないけれど、それをやり続けることが出来れば、本当の人間的な関係を始め続けることが出来る。

これが正しい人間関係だ!なんてものはそもそもないんだし、人と人に戻るプロセスを生み出し続けることさえ出来ればいいわけです。

ずーと目の前の人をただ目の前の人として見続ける。親と子供、夫婦、友達、色んな人と物の関係を、人と人の関係で見てみてね。世界が変わって見えるかも(^^)/





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