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青年と老人/安岡正篤活学一日一言0919

日本今日の混乱類廃は、青年人材の不振と同時に、先輩老年の不徳に因る。
外国かぶれの多くはむやみに革命を主張し、歴史伝統を重んずる我々は常に維新を期するが、その維新・革命のいずれも青年に限る、先輩老人は有害無用とする者が多い。これは大きな誤りであり、出来ない相談であり、要するに青年の昂奮か、煽動屋の阿諛(あゆ)にすぎない。いかにも維新・草命の尖鋒(せんぽう)は多く青年でなければならないが、青年をして自由強力にその使命を遂行することが出来るようにする為には、必ず先輩老人の無私にして賢明大胆な助力を要する。

安岡正篤

これは大正か昭和時代に、安岡先生が書いたものである。
けだし名言であり、重くて深い。

とくに大切に思う箇所を抜粋する。

青年をして自由強力にその使命を遂行することが出来るようにする為には、【必ず先輩老人の無私にして】賢明大胆な助力を要する。


青年達の考えた夢や行動を、正しく導く助力は、先輩である老人がいてこそ、青年が正しく遂行できる。

上記の安岡氏の言葉から、我々中堅世代と老人も、まだまだ勉強しなさい、という事と解釈した。

そう言えば私の周りを見渡すと、分かる。
「最近、変わりましたね」と、私に問う多くの人達に、私が儒教の勉強を始め儒教で学んでの、私の思考、行いを話す時がある。

まず8割のご同輩や目上の方は「ふーん」と関心を示さぬか「俺はもう出来てるよ」の何方かの反応をする。

これでは上記「必ず先輩老人の無私にして賢明大胆な助力を要する。」という達成はない。

だから残りの2割の。優秀な人だけが特に周りに残る。
この2割の人と大切な事業プランを立て、残りの8割を動かす。

「今の若者は」と責める人は、そんな暇があれば自分が「無私」になるにはどうすればいいか。

勉強して考える方がいいに決まってる。

次に無私な心で、若者から物を尋ねられる人、になるべきと思う。

先日、ある事でカッとなった原因を考えた時、そこに私欲があることに気付いた。

私は教育家であると共に、実業家でもあるので、完全な無私にはならないと思う。

それでも理想を追い求め、試行錯誤し地味な事を継続していけば、必ず達成出来る事を、今までの経験で体験している。

私が今行う事を達成するには、20年後、私が無私な心に少しでも、近付いていないといけない。


最近それを第一儀に考え、せめて末葉からでも出来る様、日々心がける。

心がけたからといい、簡単に出来るものではないが、心がけないと進化もインプットも、人に教える事もできぬ。

お金がないと人は付いてこない。
会社では、これは現実だ。

しかしお金があるのに、人が離れる人の多くは、私欲の塊で利益しか考えず、若者を押しのけ、自分が永遠に中心に居たい人。

今も昔も、こう言う原理原則を教え続ける人がいると、若者は伸びる。

そう考えると無私の老人、と言う人が今の私に大切となる。

無私の人ばかりの団体、と言うのはないに等しい。
しかし無私の人、というのは周りに1人は必ずいる。
私にもいる。

まずはこういう人を大切にし、教えを乞い盗んでいこうと思う。

私の誰にもない良いところは、初対面で相手が金、地位、権力のあろうが、物怖じせず堂々と話す所。

価値観がそこにないから、昔から変わらない。

真っ白な心を持ち、目で見て耳で聞き、相手の言葉を肚に落とす。

こういう学びを毎日行い、北九州を変える材料の一つにしたい。

勉強や、ものを知る気持ちに、終わりや限界を造ってはならぬ。





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