見出し画像

北九州市長選、選挙の在り方。市議や若者に伝えたい不可能という言葉。

あと6日で北九州市長選を迎える。

以前も書いた事があるが、私は過去、村会議員選挙から国政の選挙
までの多くを経験した。

だから言えるのだが、選挙は「期日前投票」で、勝負の半分が決ま
ると言っても過言ではない。

30年程前、北九州市議会議員の選挙で「柳原の票読みは固い」。
そう言われた。

「この候補者に入れよう」と言い、期日前投票に友人を連れて、
10人で投票に行ったとする。

2人位は、他の支持政党に入れるかもしれず、1人は何も書かない
かもしれない。そう想定して7人と読む。

小倉北区の市議選は、当時選対部長として、この様に殆ど読めた。

さていつもの事だが話は変わる。

「男は最初に旗色を鮮明にする」。
以前も述べた信念の一つである。

私は昨年6月頃。
まだ彼が正式に出馬表明する前後だったか。

「市長選は武内和久だ」。そう旗色を鮮明にした。

北九州、我らの市の市長選が、全国的にメディアから取り上げられ
ている。

武内候補と激戦を演じる、津森候補。
JCの清水候補と、共産党の永田候補。

こんなに熱い男が4人も揃って借金まみれの会社、つまり、今後の
北九州を継承する、と言い戦っている。

成功すれば再建の神様、失敗すれば汚名を着る、という事になる。
この勇気ある4人に敬意を評したい。

これを永田町の代理戦争と言う、下らぬマスコミの言う事はさてお
き、この4人は勇気ある男達で、これは決して下らぬ事ではない。

しかし先日、寂しい事があった。
こう言う事を書いていた市議がいた。

「ある候補者が北九州を100万人以上にすると言ってる。
 絶対に無理だ」。

この言葉は、万死に値する。

出生率がどうだ、新幹線駅がどうだと、そこらの三流コメンテータ
の様なデータをエビデンスとし「絶対無理」と書いた。

私は18歳の時、向こうから絡んできたヤクザを殴り、傷害罪で、
少年鑑別所に一月ぶち込まれた。

ヤクザに喧嘩を売られ殴り倒した。何が悪い、情けない奴だ、と思
う私は、当時愚かなダニであった。

仕事もせず、その結果21歳でバチが当たり、全財産100円を握りし
め、福岡市東区近辺で1ヶ月半野宿し、水だけで何とか生きた。

勿論、自業自得、これを因果応報と言う。

4年後に貸金業の経営者となり、10年後には訪問介護の経営者に、
その5年後には、ボクシングジムを出す。

これは小説ではなく、事実である。
野宿していた男がこうなる、という予想を普通誰も立てない。だか
ら、この世に無理という事はないと言える、簡単な理屈である。

50歳を過ぎた今、10歳代から20歳前半迄の、我が人生の反省と懺
悔をしようと、今日々を生きている。

北九州への恩返しにと、幾許かのお金を投じ、北九州の人口を増や
す活動をしている。

絶対、という言葉を迂闊に使う者は、愚かである。

武内候補は「夢を語って何が悪い」と言うが、代弁するならこれは
夢ではない。現実にする話でこれは政治家の役目だという事は自明
である。

出生率とか、新幹線駅がどうとか、そんな計算で絶対に人口が増え
ないなら、この世は全て統計や予測、数字が絶対となり、人の道や
心、行動は関係がない事になる。

人の造化、教育による人間の造化。素敵な夢と弛まぬ努力。
特に大陸と違う、島国日本の歴史を学ぶと、圧倒的なリーダーが出
た時、維新で日本は変わる事は、最早常識である。

良し悪しを置いて言えば、大阪は橋下徹の出現で変わり、日本郵政
は、小泉純一郎の出現で民営化され、各々が変わった。

明治維新は最たる物でこれを以て、この手の数字で並び立てた推計
や推測が、全て吹っ飛んでしまう事は多くの歴史が物語っている。

まずボクシングの例では、モハメドアリが、アメリカとベトナムの
戦争時、宗教的思想の理由から、徴兵を拒否した。

彼は3年間、母国アメリカ合衆国から世界チャンピオンベルトを取
られ、禁錮3年の刑に処された。

しかし、それでもアリは徴兵を拒否した。

当時のスポーツ界の黒人スターは、こぞってアリを非国民と呼び
上手く白人に迎合したが、アリはブレなかった。

そして当等アリは、最高裁まで争い、最後にこう宣告される。

「Not guilty」


「無罪」と。

このアリの行動と経緯と結果を、当時予想した者はいない。
アリは生前、こう言った。

不可能はない、と。
不可能は可能性だ、と。
不可能とは誰かに決めつけられる事ではない、と。

そして、不可能を唱える人や、その発言について、こう言った。

「与えられた世界に安住しようとする小心者の言葉だ。現状に甘ん
じるための言い訳でしかない。不可能とは宣言するものではない」

他方、日本のボクシング界も負けてはいない。
昭和30年代、つまり私が産まれる前。

ポーンキングビッチという、タイの貴公子と呼ばれた世界チャンピ
オンに、日本の切り札、矢尾板貞の挑戦が決定。

日本では、史上2番目の世界王座を期待されたが、何と直前に矢尾
板貞雄が、ジムとの確執で試合を拒否。

多くの日本人は困ったが、放映権を持つフジテレビは更に困った。
そこに白羽の矢が立ったのが、我らがファイティング原田だった。

今でこそ、ボクシングの世界殿堂入りを果たした初の日本人だが、
当時まだ19歳、しかも20戦そこらの新人。

誰もが「絶対無理だ」と言った。
当時の20数戦の選手は、戦績キャリアとしてはまだ小僧だった。

しかし試合は、蓋を開けると原田さんのワンサイドとなる。
迎えた第11ラウンド。

原田さんは、80連発のパンチを無酸素運動で的確に連打し、コー
ナーのキングビッチを追い詰め倒してしまう。

そして、戦後の日本ボクシング界を不動の物とした。

この時、原田さんが勝つと予想したのは日本で、2人のみ。
原田さんと、その師匠の笹崎会長だけだったと言う。

こんな話はボクシングでも、ビジネスでも数えきれない程ある。

だから私の社では「絶対」「無理」「分かりません、出来ません」
これらの言葉は、禁句である。

北九州の人口が100万人を超えない、と言うネガティヴで浅はかな
思考は、子供や青少年にどうせ選挙に行っても、と言う思いを植え
付ける。

こうして千載一遇のチャンスを、政治離れへ導く。
私は本日、北九州で唯一尊敬する、2人の経営者と接した。

1人の方にはメッセンジャーで「北九州を殺すな」と叱咤された。

もう1人の経営者とはお食事をし、今後の北九州活性の話をした。

最初から無理だと思えば、人は最早、平坦な道でも転んで死ぬ。

しかし多くの同じ志の者が、正しい経過で正しく同じ方向へ進み、
先人に請い、信友に助けを借り、時に歴史を振り返り、反省する。

そうした者だけが達成し、そうした者だけが、これ以上は自分には
無理です、と言う権利を付与される。

最初から無理だと思う政治家に、否定も期待もしない。

しかし、いやだから、私は必ずやり遂げる。

本気で挑み、多くの志のある実力を持つ諸先輩方が、若輩の私を引
っ張ってくれる。これは夢を言ってるのではない。

本日、私が北九州で尊敬するたった2人の方から、お声がけを頂い
た事は、偶然ではない。

北九州を百万人の街へとする、私の思いと行動が、もし無ければ、
尊敬する2人の大先輩とは、一生関われる事はなかったと思う。

若者へ言いたい。この世に絶対無理などない。
少なくとも私は、見たことも遭遇したこともない。

市長選の立候補者4人は、必ず同じ想いや考えで、立候補し戦って
いる筈だ。だからこそ、投票に行こう。

義務を放棄した者に、権利とチャンスが与えられる事はない。

この4人の立候補者のおかげで、多くの若者が選挙ボランティアを
し、私にですら選挙の事を質問してくる。

君達が諦めなければ、北九州は必ず変わる。
そしてこうも言える。

人間のクズだった私が今、真っ当に生きている。だから奇跡とか、
絶対無理というものはない事に、間違いはあるまい。

https://amzn.to/3kIjKLs




この記事が参加している募集

この経験に学べ

宜しければサポートお願い致します。正しい教育活動に使います。今後とも宜しくお願い致します。