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K君への手紙7)ひきこもりと人生

 やっほー。元気にしてる? 今日でお手紙も7日目、このままだらだらと雑談を続けてもいいんだけどさ…、やっぱり、始めたことには終わりが必要かなと思って。終わりのないものなんて、ないもんね。人間の人生も、地球の寿命も。すべてが有限だ。時間は無限じゃない。だから、とりあえず、コレをK君に送る、さいごの手紙にしてみるよ。

 そうだな…。やっぱり、さいごに相応しい話題がいいな。人生について、なんのために生きるのか、こういう壮大な話がいいんじゃないかな。
 でもさ、こんなこと考えるのって、人間くらいだよね。たぶん。サルも、犬も、猫も、カラスもスズメも、こんなこと考えてないよ。自分なんて、何の価値もないから、生きるに値しない…、とか、誰でもできるような仕事をして、いったい自分の人生になんの価値があるんだ…、とか。人間以外の動物はさ、誰でもできることをすることに対して、きっと不満を抱かないんだろうね。だって、逆にさ、その個体にしかできない仕事なんてあったらさ、困るもんね。このカラスにしかできない仕事があり、そして、そのカラスが死んでしまったら、カラスの群れ全体が機能不全に陥るくらいの大損害を与える…、なんてさ。そんな生き物が生き残るはずがない。だからさ、カラスは、誰にでもできる仕事を、役割を、ただやっているだけ、ただ生きているだけなんだろうなあ。
 なんで人間だけ、こんなに変なんだろう? やれやれ…。でも、人間も、みんな、自分にしかできないことをやっているんじゃなくて、誰でもできること、代わりはいくらでもあることをやっているに過ぎないんだろうな。そういう…大きな視点から見ると、さ。
 でも、やっぱり、コンビニのアルバイトよりも、ちょっといい感じのお店のウェイターでもやったほうが、なんか、偉いような気がするし、人に雇われるよりも、自分でお店を開く方が、すごいような気もする…。他の誰にもできない、なにかを、人生において価値のあることをやっているような気がする。
 でも、どうなんだろうね。社会の中で、より上を、上を目指す競争に熱狂している間は、人生の虚しさを忘れられるだけなのかも。競争の絢爛(けんらん)が落ち着いて、ふと我に返ったら、今まで忘れていた虚しさが、どっと押し寄せてきて、もう、指一本うごかす気力もなくなるかも。君はいま、そういう状況なのかも。違うかな?

 結局は、なにをやっても虚しいからなあ…。それを一度知ってしまうと、努力する気がなくなるよね。力が湧かなくなる。がんばれって言われても…、元気になれって言われてもさ、それって、なんのため? みたいなね。
 うーん、なんのやる気も起きないときは、とりあえず何も考えずに寝ること…。たぶん、エネルギー不足が過ぎて、そういう虚脱状態になっているから…。
 でも、そういう状態でもさ、やっぱり…、自分の人生に、なにか価値を見出している人と、虚無感に襲われている人とでは、いのちの勢いが違ってくるんだよね。人間の特殊なところ。ほかの生き物は、たいてい、生きる意志がみなぎっている…というのかな、自分から死に向かうようなことはないよね。どんなに大怪我しても、絶望しない。ところが、人間は、生きる意志が、弱まることがある。加速度がつかない、エンジンが回らない、そんな状態になることがある。
 ほんとうはさ、ご飯を食べるのも、自分にしかできない、排泄するのも、自分にしかできない、自分の足を動かすのも、熱を感じるのも、感情を感じるのも、自分にしかできない。ぜんぶ、自分にしかできないこと、他人に代わりにやってもらうことができないことなんだから、自分にしか享受できない「生きる」ということを、自分勝手に愉しんでもいいんだけど…、というか、きっと、他の動物は、そうやって生の喜びを享受することそのものが愉快なんだろうけど、なんで、人間はそのレベルの喜びを失ってしまったんだろうなあ。うーん。まあ、からだが鈍っているからかな。
 「自分にしかできない」って、錯覚でもいいから、思い込んでしまえばいいんだろうな。代わりがいないのだ、と。これは本当に。代わりはいくらでもあるようで、しかし、誰も代わりのいない人なんだ、自分は、と思い込む。社会とか、群れ全体から見ると、たしかに代わりはいくらでもいるんだけど、せめて、誰かにとっての、誰の代わりにもならない人になる。そうすれば、力は戻ってくる気がする。
 そうだな、「いのちは大事」ってことばよりも、「あなたが大事」ってことばを言ってくれる人が必要なんだよな。そう。自分自身を、見てくれる人が。
 なんだろうな…、だからかな、親とかがさ、「自分の子ども」だから大切にしてくれるのは、まあ、ありがたいんだけど、魂にはなかなか響いてこないんだよなあ…。残念だけどさ。いのちの火が再び燃え上がるほどのエネルギーは、与えてくれない。「患者」とか「クライエント」でも足りない。そうじゃなくて、ほんとうに、自分のことを、かけがえのない個人として…文字通り、他の誰も代わりがいない人として、見てくれる人がいないとさ、力が湧いてこないんだよ。
 少なくとも、わたしはそうだったなあ。「わたし」のことを必要としてくれている人がいて、はじめてこころが元気になった。体に力が湧いて、治ろうとする勢いが生まれてきた。
 道具的な利用じゃ、だめなんだよな。ちゃんと、生命を尊重され、敬意を払われて、必要とされないと、こころがよみがえらないね。やっぱり、人間は、他者を必要としている…。まあ、群れで生きてきた生き物だからね。そういうシステムになっているのかも。他者から尊敬される、他者を尊敬する、っていう、そういう流れがある場所が、生命を活性化させる場所だ。そうじゃない場所に、長くとどまると、いのちの勢いが弱まる。それは、君がわるいんじゃなくて、場所がわるいんだ。いまは、そういう…わるい空気になってしまった場所が、なんの対処もされず放置されることが多いんじゃないかな。学校とか、職場とか、家庭とか…。人間どうしの関係が生み出す、場所の雰囲気は、一度乱れると、立て直すのが難しい。わるい空気に慣れてしまっていると、わるい場所から逃げ出すのが遅れてしまう場合がある…。

 K君がいま、どんな状況に置かれているのか、わからない。どうやって現状を打破したらいいのか、わからないような、そんな出口の見えなさに、絶望しているかもしれない。先のことを考えるのが、つらいかもしれない。
 でも、よくもわるくも、変わらないことなんてないんだ。諸行無常、栄枯盛衰。いま、社会に適応して生きている人だって、一度天災が襲うだけで、仕事も家も失うかもしれない。気候変動で、誰一人家の外に出られなくなるような日も来るかも(今回のコロナ騒動は、ちょっとそういう感じだったね)。もっと現実的な、少しの変化でもいいんだ。ちょっとがんばって人と目を合わせてみたら、ひょっとしたら話しかけられて、仲良くなれたりしちゃうかもしれない。世の中、なにが起きるか分からないんだ。脳みその中のシュミレーションを、はるかに超えてくるような、非現実的なイベントが、現実に起こるかもしれない。
 まあね、予想不可能なことはね、怖くもあるんだけど…。そうだなあ、未知のものは怖い、の法則でね、なにが起こるかわからないっていうのは、怖いことだけどさ…。まあ、予想より怖いことなんて、めったに起こらないからさ。頭の中で渦巻いているイメージが、きっといちばん恐ろしいんだよ。イメージの力はつよくて、たとえば、親とか身近な人と話すときは、恐ろしくて不穏なイメージが共有されやすいがゆえに、そのイメージどおりの悲劇がおこっちゃったりしてさ、なかなか大変なんだけどね…。逆に言ったら、脳みその想定を超えてくるような出来事に出会えば、案外あっけなく不安や恐怖が消えることもあるかも…。
 あんまり無責任なことは言えないけど、そうだなあ、でも、きっとなんとかなるし、なるようになるから、だいじょうぶ。今の自分では、予想もつかないような何かが訪れて、きっとどうにかなっていくものだから。
 こういうの、「他力本願」っていうのよね。あ、他人頼みでなんにもしない人っていう悪口のほうじゃなくてさ、仏教用語のほうね(笑) 自力救済じゃなくて、他力救済なんだよ~ってこと。自分でいくらがんばっても、仕方ないところがあって、自力救済を諦めた時に、はじめて他力によって救われたりするのよねってこと。たしかね(笑) あんまりまじめに仏教徒やってるわけじゃないからさ、たしかなことは言えないんだけどね。
 まあ、自分でできることといえば、食欲があるときに、あったかいご飯とみそ汁食べてみたり、からだを冷やさないようにしたり、なるべく早い時間にふとんに入ったり…。そのくらいのことだよ。きっと。あとは、なるようになります(笑)

 こんな感じで、どうかな。一応ひとくぎりついたかな? さいごだと思うと、なんか、こう、気合入りすぎたな(笑) 力はいりすぎて、言いたいこと全部つめこんで、けっきょくごちゃ混ぜ、みたいな文章になっちゃった。読みにくくてゴメン(笑)
 いつか、K君にこの手紙が届いて、K君のこころに、ちょっとでも明かりが灯せますように。ネットの海に放った、この、小瓶に入った手紙が、いつか、誰かの手に渡って、少しでも何かの助けになりますように。世界に対して、わずかでも信頼が取り戻せますように。
 それじゃ、ここまで読んでくれて、ありがとう。また、いつか、どこかで会えるといいね。いろんなことを話そう。なにから話そう? とりあえず、手紙の感想をきかせてほしいな…どんな感想でもいいからさ。

 そして、こんどは、君の声を聴かせてよ。
 それじゃ、また会える日まで。

                            20XX年X月X日
                         やまのうえのきのこ
 

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