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当事者のデータを見ないなら、それは支援でなくて「おせっかい」

たいていどの社会問題でも、当事者は困っている。

困っているからあれこれ活動する余裕までない。頑張ってやっているところは通常以上のパワーを絞り出してやっているから続かなくなることが多い。

ワンオペ育児をしながら介護も始めた、みたいなエネルギー量と想像してみてもらえたら良いと思う。(個人的には、これもやったので)

一般的に、いままで当事者=困っている人⇦たすけてあげきゃ!

支援者→助けてあげる人・団体

で当たり前に進んできたと思う。

でも、多くの支援が「当事者の声」だったり「データ」を積極的にはとりに行かない。

じゃあ、結局「当事者が困っていることの本質」には頑張っても到達しない。だって、経験したことがないから想像しようがないポイントがたくさんあるから。

解決の方向に向かってないのに、なぜ支援をするの?
困っているときは窓口ですら欲しいから、つい当事者も利用しがちだけど、解決には行きつかなくて、というか解決の道筋すら示せるところが少なくて、人生の何年もが過ぎていく。

ひとの時間の価値って貴賤に関係なく同じはずでは?と思うのに。

わかりやすくいえば不登校。
学校が出す不登校の原因データは、「家庭・本人」が原因であるケースが半分以上。

会社の社長が取るアンケートに「社長が横暴だ」って書きますか? 
実際、不登校家庭対象にとったアンケートでは学校起因が多い。(2018年実施)

むかし、いじめ問題が県内でニュースになった時期に学校でアンケートが取られたことがありました。

普通に学校に行ってた時期のことです。

まだ低学年だったこともあり、空気読むとかそういうのなしに、普通のアンケートとして「いやだなと思うことをされたことがありますか」的な質問に

○○くんや○○ちゃんが消しゴム取ったり、席から立つときに足をひっかけたりするのがいやです

と書いたことがあったそう。
そのとき注意されたの誰だと思いますか?

○○くんや、○○ちゃん

ではなく、こちら側です。別に○○くん、○○ちゃんもそれほどおこる必要もないとは思っています。そして書いた本人もそれほどシビアに考えてかいたわけじゃない。

けれど、その後の先生のひとことが問題。

「いじめられたみたいに書かないの!」

って正直に書いたほうが怒られる、注意される、っていう・

そういうアンケートに、大人の違和感に過敏だからこそ、学校に行かなくなっている子たちが真実を書くと思いますか?

先生の行動、その先、何につながるかまで、たぶん大人のように正確に言語化はできないにしろ、よめてしまっているはず。

そんな「当事者」がいないデータをもとに支援を作っていくなら、そこに対象はいない。イコールなんのためにやっているのか。活動したい承認欲求?

当事者が我が物顔に権利を主張しろ、っていうことではなくて、

なんの解決をしたいの? →当事者が困っていることについて

だったら、「事実としての」

当事者の声やデータをもとにしなかったら、ゴールはどこ?って思うのです。

支援者>困っている人 

の立場関係、助けてあげる・助けてもらう

っていう力関係のほかに、事実・データ・ノウハウを身をもって体感しているのは当事者のほうなのだから

当事者>支援策を練りたい人

という情報量や工夫を「教えてもらう」という関係も必要ということ。

結局、当事者としてクレイマーのようになるのも、助けてあげてるんだからと当事者の声を聴かない支援も、どちらの立場でも「傲慢さ」をもったらダメなのだと思う。

それぞれの役割と立ち位置を活かして、相互理解。
なんの問題、なんの支援、でも同じことなのかもしれません。

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