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『表現の不自由展・その後』について思うこと

今更ながらあいちトリエンナーレで開催された『表現の不自由展・その後』について書く。いろいろと物議を醸した展覧会であった。私は実際に見に行ったわけでは無いが、当時の報道である程度の内容は知っているつもりだ。
最初に感じたのは「胡散臭さ」だった。表現の不自由を謳うのは良いが、展示の内容は政治的意図を持って作られた(と捉えられそうな)ものばかりであった。表現の自由の抑圧は、別に政治思想的なものだけでなく、公序良俗や倫理観など多岐に渡る。これは、主催者が何らかの意図を持って展示品を選定したと疑われても仕方がないのでは、と思った。
次に感じたのは嫌悪感である。この嫌悪感は生理的嫌悪感であって、自分の主義主張に合わないことによる嫌悪感ではない。アートとして受け入れられなかったのだ。
特に、あの「昭和天皇の写真を燃やす」映像作品。あれは本当に嫌悪しかなく、アートとして理解しようという意欲さえわかない。ある意味、実際に見なくてよかったかもしれない。
制作者は「表現の自由」を盾に取るだろうが、これはイギリスにおいて故エリザベス二世の写真を燃やすようなもので、はたして他国で同じことをやって受け入れられるだろうか。

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