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親魏倭王の小話集

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#中国史

中国史小話集①

中国史小話集①

【陳勝・呉広の乱と秦の滅亡】
始皇帝没後に起きた陳勝・呉広の乱は中国史上初の農民反乱で、秦のガチガチすぎる法治による締め付けが原因と考えられる(あまりにも法が厳しく、役人たちは自分が法を犯さないかどうかに気を取られ、民のことまで気が回らなかったらしい)。
この乱は官軍の将軍・章邯の活躍もあり、すぐに鎮圧されるが、戦国時代の各国の王族らが呼応し、群雄割拠の状態となる。そんな中、楚の項羽が中心となって

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中国史小話集③

中国史小話集③

【張楊のこと】
張楊は中国・東漢(後漢)末期の軍閥の一人である。
霊帝の時代から武勇で知られ、何進に仕えた後、独立した。献帝が長安から逃れてくると、献帝を奉じて洛陽に赴こうとしたが、諸将との仲が悪く果たせなかった。
建安元年、押し入った賊に殺害された。家臣の楊醜に殺害されたという説もある。
張楊は『三国志』に立伝されているが『後漢書』には立伝されていない。『三国志』は曹操を魏の初代皇帝としているの

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中国史小話集④

中国史小話集④

【周王朝概説】
周は中国の歴代王朝で最も長く続いた王朝だが、異民族の侵入で一度滅亡している。その後、都を移して再興されるが、都の位置から滅亡前を西周、再興後を東周という。
周は親族や有力家臣に各地を分割統治させる封建制を採っていたが、東周後期になると周王室の権威は弱体化し、各封国がそれぞれ力を持つようになる。この時期は前後期に分かれ、前期を同時代の歴史書から「春秋時代」と呼ぶ。この時期は各封国の君

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中国史小話集⑤

中国史小話集⑤

【董允と費禕の逸話】
諸葛亮、蔣琬とともに蜀漢を支えた董允と費禕は仲が良かった。
ある時、董允の父の董和が、どちらが優れているか試そうと、二人が一緒に外出する際にわざと粗末な馬車を用意した。すると、董允は露骨に嫌な顔をしたが、費禕は意に介さなかった。それを見た董和は、費禕のほうが優れていると思ったという。
ある官職に就いていた頃、費禕は朝夕のみ仕事をして、日中は人に会ったり酒を飲んだりしていたが、

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