高天原は天球!神道の道は道教の道?
前々々話、古事記序文の暗号「天と地が分れた」。中国神話では、盤古が天を押し上げて天地を分離します。前々話、天之御中主神・別天津神は天を駆ける、隠れる別天津神を代々の北極星であると紐解きました。前話、神代七代も天を駆ける?駆けてた?、神世七代の三代から六代は、朱雀、青龍、玄武に、白虎。
南方朱雀井宿、三代宇比地邇神と須比智邇神、比の発音は井。東方青龍の角宿、四代の角杙神と活杙神、角の字が重なる。北方玄武は斗宿、五代意富斗能地神と大斗乃弁神、斗が共通。西方白虎は奎宿、六代は淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神にて、奎と六代に一見関連性はないが、七代に続く深い意味がある。
「奎」とは、「また、またぐら」、「両足を開いて行く様」、七代の伊邪那岐神と伊邪那美神、国生みから神生みを行う。イザナギとイザナミは、二人のまたぐらを結合したあと、イザナミは両足を開いて国土と八百万の神を生みました。逆に国生み神話、神生み神話の元ネタは奎宿かもしれない。
道教は最高神の玉皇大帝を、北極星と同定していますし、道教は典型的な多神教、神道の元ネタは道教かもしれません。古事記に記される高天原、中国の宇宙観である天球上にある。その中国の星辰、星辰は星宿など、西洋神話の星座にあたる。
2016年開館、キトラ古墳壁画体験館、四神の館、壁画の四神や天文図を、ガラス越しだが目前に鑑賞できる、一度に公開されていないし、事前登録制だから面倒だ、枠が空いていれば待ち時間なしで当日鑑賞もできるし、運悪く公開期間でなくても、原寸大石室模型が再現され、展示室の天井に輝く天文図は、圧巻の美しさで魅了するし、広大な園地には古墳以外にも古代家屋を彷彿させる体験施設などが並び立ち、古代歴史ロマンをかきたてる。
飛鳥美人が有名な高松塚古墳、石室の南に壁画が無い。南方朱雀が欠けているが天井画に星宿図が描かれ、古墳に隣接する高松塚壁画館に、壁画模写が展示される。こちらの公園も広大、国営飛鳥歴史公園館に中尾山古墳、アップダウンも激しく、一周したらほとんどハイキングだ。
二つの古墳の共通点は、石室の星辰図だけではない。兄弟古墳とも言われるほど推定の造成時期が同じ。キトラが7世紀末~8世紀初頭、高松塚が藤原京期、藤原京は694年~710年、古事記編纂期間に重なる。673年天武天皇が稗田阿礼に帝紀と本辭の誦習を命じる。古事記を編纂した太安万侶、712年に元明天皇に献上した。
古事記冒頭「天地の初発のとき」、高天原は宇宙を想起する。石室の星辰図と古事記の高天原、この二つを結びつけて考察した人はいまだかつていなかったのでしょうか。古事記序文は、中国の宇宙創生説によって書かれているのに。帝国大学の歴史学者には、天皇家に対するタブーがあった。皇祖神の先祖となる神世七代が中国神では許されない。ましてや神道の元ネタが道教とは口が避けても言えまい。
古事記序文「天と地が分れた」、その後天之御中主神が登場。天地創造神は中国神話の盤古、盤古が成長して天地を分離。盤古の死後に右目から太陽が左目から月が生まれた。イザナギの禊、左眼から天照、右眼から月読は、このパクリ。左と右を逆にしたのは、男神と女神を逆転した暗号か。
しかしキトラ古墳も高松塚古墳も石室があまりにも狭い。キトラは奥行き240cm幅100cm高さ120cm。高松塚は南北265cm東西103cm高さ113cm。テーマパークとして、庶民に開放しないとしても、賓客を饗すならもう少し高さがないと苦しいだろう。
もちろん死後に制作されていない。秦の始皇帝にならった。不老不死のため水銀を服用、兵馬俑に水銀の川や海を造る。埋葬される本人の希望で、陵墓はデザインされていく。生前に完成したら、親しい人に自慢するのは人の性だ、しかし海外使節団を供応接待するのは、流石に無理だろう。
飛鳥には石室には大きすぎる超有名な古墳がある。キトラ高松塚の被葬者を天武天皇皇子とする説が多いが、石舞台古墳は蘇我馬子か、蘇我稲目が有力候補である。造成時期は7世紀前半とキトラ高松塚より一世紀古いが、石室は自然石約30個総重量が2300トンに達し、玄室の長さが約7.7m幅約3.5m高さ約4.7m。羨道は長さ約11m幅約2.5mの規模を有する。
古墳近くを流れる冬野川を利用し、多武峰から巨石を運ぶ。多武峰には後に藤原鎌足を祀る談山神社が建立される。談山の由来は中大兄皇子と鎌足が乙巳の変を談合した。不思議なのは石室を覆った盛土が全て失われていて、方墳なのか上円下方墳なのか、古墳の形が不明となっている。悪者の蘇我氏の墓だから、破壊されたともされているが、そこまで死者に鞭打つだろうか。
石室も坑道も崩れていた。現在内部に入れるのは、昭和に復元整備事業があったから。現実的な大きさの横穴式石室は、8基も外堤に別にある。この共同墓地の祭祀を行うための施設であったなら、法外な玄室の大きさも納得、墓でなければ盛土も必要ない。そしてその祭祀施設に、キトラ古墳や高松塚古墳と同様に、中国の星辰図や四神が描かれていてもおかしくないし、逆にキトラや高松塚の元ネタが、石舞台古墳かもしれない。
皇都が阿波だとしても、外交使節団を饗応したのが飛鳥だ。飛鳥京跡苑池や酒船石遺跡と同様、石舞台もその歓待施設。中国と対等以上の関係を目指し日本書紀は改竄された。本書は道教の最高神、過去の北極星の別天津神を削除する。神代七代の四神もぼかし、その四神の証拠は破壊された。キトラ古墳や高松塚古墳は、隠れ道教だったのかもしれない。
神道の道は道教の道、高天原は天球にて中国神話が元ネタ。天津神のルーツは中国、だからせっせと朝貢したのだろう。まずは古事記の世界観は中国と考えて読み解く必要がある。ただし始皇帝の風貌は西洋的、秦は中国では辺境の陝西省だ。さらに西の中央アジアや中東から流れてきた可能性がある。そこまで古事記の暗号になってたら、エキサイティングだ。
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