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東尋坊で聴いたオリビアを聴きながら

電話級アマチュア無線技士は生涯有効」において、ヒット当時はそんなに好きでなかったABBAの「ダンシング・クイーン」が後に最高傑作と思うようになったと書いた。しかしリリース当時全くいいとは感じなかったし、確かベスト10にも入ってなかったと思うが、後に名曲と言われ大のお気に入りになったのが杏里のデビュー曲である「オリビアを聴きながら」だ。

名曲になったのは尾崎亜美がよくセルフカバーしていたのも大きいだろう。二人そろって歌っていた音楽番組でオリビア・ニュートン=ジョンが好きと杏里が言ったのがきっかけだと舞台裏を明かしていた。正に名曲誕生の秘話である。5年後に大ブレークする「CAT'S EYE」と「悲しみがとまらない」はリズム感いいアップテンポでスローバラードが合ってなかった訳ではない。

歌は世につれ歌は世につれ、物悲しいバラードはインベーダーゲームが流行り始めた時代に合っていなかった。1978年は大学受験の真っ只中でテレビは宮崎駿の「未来少年コナン」と大河ドラマ「黄金の日々」しか見ていなかった思い出がある。ラジオは受験の友で中学生からよく聞いており売れる曲を外したことはない。だから「オリビアを聴きながら」も注目はしなかった。

しかし、大学受験に成功した最初の夏休みは帰省して運転免許を取った後に学生寮の仲間と記念にドライブ旅行をした時に東尋坊の拡声スピーカーから流れる「オリビアを聴きながら」は無茶苦茶良かった。東尋坊は柱状節理の奇岩が国の名勝・天然記念物であり、後にサスペンスドラマで犯人を追い詰める崖の名所になったが、当時から飛び込み自殺の名所でもあった。

なぜ東尋坊を行く先に選んだのか完全に失念したが、最果て感満載の東尋坊は車で行くのがピッタリはまる。わざわざレンタカーを借りての旅行なのに金を惜しんで車中泊をすると事件が発生した。当時は若者の集団自殺なんて考えられないのに若いお巡りさんが職務質問をしてくる。律義ではなく4人も寝ているのに何度も「自殺しないですよね」と確認する。さすが名所。

#創作大賞2022


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