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電話級アマチュア無線技士は生涯有効

一度だけ即興作曲と即興演奏に成功」においてJ-POPの最高傑作は「異邦人」と書いたが、世界に目を向けると「ダンシング・クイーン」だ。言わずと知れたABBAの代表曲だが、ヒット当時からそう思っていた訳ではなく、大人になっても聴く機会が多く文句のない楽曲になった。何と言ってもあの華やかなサウンドは何度聞いてもウキウキ晴れやかにしてくれる。

そんな曲に誘われたのではないし、人見知りになってしまった今では考えられないが、世界中の人と交信できるからとアマチュア無線の免許を取るため徳島から松山まで一人旅をした。詰襟の学生服が功を奏し待ってくれたが、帰りの高松駅乗換アナウンスが0番線と言えばいいのに零番線と言うから、でい番線と聞こえ何番か分からない。日帰りギリギリなので危ない危ない。

まだ中学生だったが、アマチュア無線電話級は自動車免許並みに簡単なので準備怠りなければ合格する。無線局免許であるJA5UGEのコールサインも取得した。コールサインのJはジャパンで数字は地域で5は四国を現す。下三桁のアルファベットが各地域で一巡すると、2番目のアルファベットがHとかRになるが当時Aのままなのは四国だけだったので急いで取得した。

JA5のコールサインは自慢できるはずだったが、一度もコールしてない。免許状があれば復活できると調べたが、生家と共に葬られてとても残念だ。無線技士資格は生涯有効だけど資格証は不要なんだろうか。まあ今更無線機を購入するつもりもないのでどうでもいいだろう。但しこの経験がその後の人生を決定した。エレクトロニクス業界はバラ色だと考えてしまったのだ。

大学の電気工学科を卒業し電気設計技術者として無事定年まで勤めあげたのだから成功なんだろうが、昨今の状況を考えると日本の未来は心配である。ちなみに選んだ会社もかなりいい加減で、母親の旧姓と同じ名前の会社だ。おじさん達はスーパーや民宿の経営に加え乳牛を飼い田畑の他に山林も持ち母親の旧姓グループと称していたから、本当の旧姓グループに入ったった。

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