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王朝交代隠す茶番劇乙巳の変が幕引き

やまとみずほの国に生まれて  第四十三話

第四十話「継体天皇が隠す真の王朝交代」、真の王朝交代を隠すため出自が怪しい継体天皇は創られた。推古天皇の在位期間は593年から628年。聖徳太子は即位同年に摂政となり、622年に病死。斑鳩宮で倒れた太子を看る妃の膳大郎女が一日前に謎の死。記紀は成果を集めて超英雄を作るから皇太子は命の危険があることにして、推古朝が35年も続くのは超怪しい。

後継は敏達天皇の孫、舒明天皇。推古天皇は異母兄弟の敏達天皇の二代皇后だが、舒明天皇ととさんの押坂彦人大兄皇子のかかさんは初代皇后の広姫。皇后にしては名前が簡単、広姫のととさんの息長真手王に出自の記録なし。舒明天皇は息長足日広額天皇、飛鳥岡本宮。敏達天皇や推古天皇の次世代を 飛ばしての皇位継承は王朝交替の匂いがするが、乙巳の変の4年前に崩御。

後継は皇后の皇極天皇、天豐財重日足姬天皇、飛鳥板蓋宮。二人は叔父姪の異世代婚が怪しさを増すが、蘇我入鹿の暗殺の翌日、蘇我蝦夷が自宅に火をかけ自害した翌日に、最終的に入鹿に斬りつけた後の天智天皇、中大兄皇子が譲位に応じず、嫌がる同母弟の孝徳天皇へ史上初の譲位。手際良すぎる。 
天皇眼前の惨殺は手に汗握るが、女性天皇は阿波から出てないから脚色だ。

孝徳天皇は天万豊日天皇、難波宮。中大兄皇子は皇太子として大化の改新は進む。大化の改新が飛鳥ではなく、難波で進むのは違和感大だ。難波は浪速「渦の潮」、阿波の鳴門に戻ったのなら納得する。孝徳天皇の皇后は、また怪しい叔父姪の異世代婚となる、舒明天皇と皇極天皇の御子の間人皇女だ。舒明天皇で王朝交代なら、後継者を決めず皇后からその弟への継承は変だ。

舒明天皇の指名は蘇我蝦夷、蘇我氏の天下に王朝交代はない。しかし天皇家と蘇我氏の世代交代には大きな違和感がある。推古天皇も蝦夷も蘇我稲目の孫だが、乙巳の変で殺される入鹿は蝦夷の子なのに、斬りかかる天智天皇は推古天皇のひ孫世代。一世代でなくニ世代違う。蘇我氏は神功皇后の重臣、武内宿禰が祖とあるだけで、宣化天皇元年いきなり蘇我稲目が大臣となる。

第四十一話「蘇我物部抗争に皇統も愛欲入り乱れる」。王朝交代には天皇家に忠実な最強武力の物部氏の討伐が必須だ。仏教論争にかこつけて、物部氏を討つ蘇我氏を生んだなら、恐るべし日本神話。あからさまに物部氏を討つと王朝交代もあからさまだ。蘇我馬子が共通の祖父、入鹿の従兄弟、傍流にに不満を持ち乙巳の変に協力し、文を読むのに震えた蘇我倉山田石川麻呂

右大臣に任命されたが、4年後に弟の日向の讒言から一族は自害する。もう一人の弟の連子の子が天武天皇の信任厚く、石川朝臣の姓氏を賜り蘇我氏を捨てる。記紀が編纂される頃には悪者にされても異を唱える力ある蘇我氏はいなかった。雄略天皇の後、稲目が大臣となる宣化天皇まで行政記録なし。安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇の三兄弟は、雄略天皇の皇子かとも語った。

第四話「紀伊は木の伊の国にして狗奴国」、吉備氏の乱の真相は、国津神の拠点があった和歌山を雄略天皇が殲滅した。天津神から王権奪取したなら、国津神は黙っていまい。中央集権を進めたと評価が高い雄略天皇だが、実は王朝交代していた。推古朝35年も聖徳太子を創作するための捏造。隋書に記される600年遣隋使、天津神がへSOSならば日本書紀に記さない。

雄略天皇はSOSを火消し。雄略天皇の遣隋使を推古天皇の事績へ移した。第三十九話「応神王朝の政権確立が内部闘争を着火」、倭王武朝貢478年から推古天皇遣隋使608年まで130年、7代平均18.5年で世代交代と述べたが、遣隋使が雄略天皇なら5代平均26年。稲荷山古墳出土鉄剣の ワカタケルの成務天皇をカウントし、6代平均21.7年はちょうどいい。

第二十話「八咫鏡が偽りなら草薙剣は裏切りの剣?」整合する?矛盾する?

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