正常性バイアスからの想像力の欠如
「東尋坊で聴いたオリビアを聴きながら」と同じころの思い出の曲の筆頭はサザンオールスターズの「いとしのエリー」だ。桜咲く季節に進学した大学の寮でカセットテープを何度もリピート再生していたお気に入りだが、本当にヒットしたのは夏休みが終わった後だ。当時久米宏と黒柳徹子の二大看板が司会するザ・ベストテンは大流行していて、まだテレビがない新入寮生は痩せるに便利なメニューだが、テレビがある食堂に集まるのが日常だった。
その年最大のヒット曲である西城秀樹の「ヤングマン」が十何週か連続1位の間2位につけ入れ替わり後一月ぐらい1位をキープしていた記憶がある。春にリピート再生していた理由にこれはいい曲だからみんな聞いてねの思いも込めていたのだが、少し癖のある曲なので聴いていた仲間は変な曲をかけるなの感想だった。ちなみに「ヤングマン」の原曲は米ディスコ・グループのヴィレッジ・ピープルがゲイを皮肉った「Y.M.C.A.」なのも付け加える。
ベストテンで1位を取った時「俺の気に入った曲はこうなる。」と豪語してしまったし、後に「こんないい曲を書く桑田佳祐は永遠だ。」と言った予言も当たってしまった。サザン最大のヒット曲である「TSUNAMI」はレコード大賞も取った。その翌年には「よくお前のことを思い出す。」と年賀状をもらったのだが、「TSUNAMI」は何度聴いてもいい曲に思えなかった。とうとうヒット曲予想屋も完全にさび付いたと年貢を納めかけたが理由があった。
何とかとてもいい曲だと感じるようになって3年後にスマトラ島沖大地震が発生した。街中の道路を流れる大津波は衝撃だった。日本でも起きたらどうなるのだろうと想像するのは一個人で心配しても仕方ないと忘却することにしたのだが、政府や公共機関は正常性バイアスにかかって最悪の事態を封印してはいけない。東北地方には津波の跡を後世に伝える石碑は山ほど残っているし、東京電力経営陣にいたっては津波発生予想の報告まで受けている。
考えたくないことは起こらないと想像の翼を閉じるのは罪だ。なぜスマトラの大津波を見て日本にも起こると想起しないのだろう。東日本大震災による福島原発事故は明らかに人災だ。戦後間もない南海地震の津波から逃げるため裏山に登った経験を話すおふくろから津波への恐怖心は植え付けられた。スマトラ島の後、日本に本当に来たらいい曲なのにサザンはどうするかなと心配したら、東日本大震災後ライブで「TSUNAMI」は歌っていないそうだ。
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