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神として生きた女性

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中山みきという人の伝記を書こうとしています。
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#平田弘史

「教祖絵伝」を読み直す 7/25 「立教」再考その3 天理教とは何だったのか

「教祖絵伝」を読み直す 7/25 「立教」再考その3 天理教とは何だったのか

「神として生きた女性」であるところの中山みきという人が「神として生きること」を開始した結節点は、史実として確かに存在した。けれども天理教という宗教が「立教にまつわる史実」として伝えているその内容には多くの「うそ」が含まれており、かつその「うそ」の出処をたどってみたなら、それを人々に伝えかつそれを事実であると人々に信じさせることのできる立場にあった人物は、物語の当事者であるところの中山秀司という人以

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「教祖絵伝」を読み直す 6/25 「立教」再考その2 秀司は何に恐怖したのか

「教祖絵伝」を読み直す 6/25 「立教」再考その2 秀司は何に恐怖したのか

天理教という宗教は、「中山秀司という人の足痛」から始まったということが伝えられている。この「秀司の足痛」を治すために行われた「寄加持」をきっかけに、その母親の中山みきという人に「神憑り」が起こり、「元の神·実の神」と名乗る「神」が「世界いちれつをたすけるため」に「みきを神のやしろに貰い受けたい」という要求を発したのに対し、彼女の夫の善兵衛という人がこれを受諾したことから、天理教の歴史は始まったのだ

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「教祖絵伝」を読み直す 5/25 「立教」再考その1 立教とは何だったのか

「教祖絵伝」を読み直す 5/25 「立教」再考その1 立教とは何だったのか

天理教という宗教の「立教」にまつわる物語として現在に至るまで語り伝えられている一連のストーリーは、その中で中山みきという人の口を通じて伝えられた「神の言葉」とされている様々な文言まで含め、大部分が中山秀司という人によって「作られた話」であり、そこに真実の要素はほとんど含まれていないというのが自分の見解である。ということを前回の記事で私は書いた。

けれども「立教」、すなわち天保9年の旧暦10月に「

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「教祖絵伝」を読み直す 4/25 足達照之丞の話 再考

「教祖絵伝」を読み直す 4/25 足達照之丞の話 再考

前回では、中山みきという人にまつわる伝承の中で最も理不尽だと私が感じてきた「足達照之丞」のエピソードについて、幼い頃から溜め込んできた疑念を全部吐き出させてもらったわけなのだが、いまだに釈然としないのは、どうしてこのような「誰も幸せにしない作り話」が、天理教の信者さんたちには長年にわたって大切にされ続けてきたのか、もっと言うなら、愛され続けてきたのか、ということである。この逸話は平田弘史さんの「教

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「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

平田弘史さんの作画による「教祖絵伝」の読み直しも、順を追って進めて行きたい。「まんが おやさま」の中で取りあげられていなかったエピソードの中で特筆すべきは、中山みきという人が中山家に嫁いで6年目の19歳の時に、現在天理高校になっている場所の南側に位置する勾田村の善福寺という寺で、浄土宗の秘儀とされている「五重相伝」を受けた時の様子が描かれていることだと思う。このことは善福寺の記録にも残されており、

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「教祖絵伝」を読み直す 2/25 「御入嫁から三十振袖まで」

「教祖絵伝」を読み直す 2/25 「御入嫁から三十振袖まで」

とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」と歩調を合わせて、平田弘史さん作画の「教祖絵伝」を読み直す企画も着実に進めて行きたい。実は本日2024年4月9日までの期限つきで、平田弘史さんの代表作「薩摩義士伝」の第一巻を無料で読めるキャンペーンが某サイトで実施されており、先ほどまで読みふけっていたのだったが、本当に迫力のある絵を描かれる方だったということに、改めて圧倒されている。中山みきという人の伝記を書

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「教祖絵伝」を読み返す 1/25 「御誕生から御入嫁まで」

「教祖絵伝」を読み返す 1/25 「御誕生から御入嫁まで」

NHKの連ドラで「おしん」が始まり、千葉では東京ディズニーランドが開業した1983年、当時4歳だった私は、母親の実家に毎月訪れる天理教の教会の会長さんが持ってきてくれた「天理少年」という雑誌を通じて、中山みきという人と初めて出会った。という話をこのシリーズの冒頭ではさせてもらったわけだが、会長さんが持ってきてくれる天理教関係の印刷物は、他にもいろいろあった。「天理時報」という新聞に、中高生向けの「

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「まんが おやさま」と「教祖絵伝」

「まんが おやさま」と「教祖絵伝」

中山みきという人の「公式」な伝記としては、天理教本部から出されている「稿本天理教教祖伝」がある。が、正直に申し上げて、全く心に響いてくるところのない本である。この本を読んでも、中山みきという人が「どんな人」だったのかというイメージは、一向に湧いてこない。

読み物として面白くなくても、そこに「事実」が書かれているのであれば、「史料」としての意味はあると言えるだろう。だが、初めからいろいろ細かいこと

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中山みきという人の顔を想像する

中山みきという人の顔を想像する

私のイメージの中にある「中山みきという人」は、こんな顔をしている。天理教少年会の機関誌「リトルマガジン天理少年」に、1983年から1987年にかけて漫画家のとみ新蔵さんが連載していた、「まんが おやさま」の中に描かれていた顔である。私が中山みきという人と出会ったのは、このマンガを通じてのことだった。幼稚園から小学校にかけての頃のことで、40年前の天理教本部が組織の総力をあげて取り組んでいた「教祖1

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