好みと評価は分けて考えろ
どうも、センサールマンの山﨑仕事人(最近半身浴してたらお肌の調子が良くなってきました!)です。
評価と好みを混合するな
世の中、良し悪しの『評価』と、好き嫌いの『好み』を混同して考えちゃってる人が多い気がします。
例えば僕がひとりの女性に対して、「ブスですね」と言ったらそれは評価で、「タイプじゃありません」と言えばそれは好みで、このふたつは全くの別物ですよね。
でも「タイプじゃない」という発言を勝手に「ブス」という意味と同列に扱った上で、酷いことを言う奴だ!なんてレッテルを張られることが多々あります。
そんなバカな。
自分の好みを発表しただけで酷い奴扱いをするなんて、そっちの方がよっぽど酷いでしょうよ。
そして大事なことですが、「酷い奴」は評価ですからね。
その感情はあなたの写し鏡だ
そもそも、僕が女性Aさんに「タイプじゃない」と言った時に「ブス」という意味で捉えちゃう人は、その人自身がAさんをブスだと思ってるんですよ。
だって例えば僕が松岡茉優さんを「タイプじゃない」って言ったところで誰も「山﨑は松岡茉優さんをブスだと思ってるのか!」とは思わなくないですか?
「こいつ頭おかしいんか?」とか「童貞が何か言ってやがらぁ」とは思われても(童貞じゃねえけどな!!)、「酷い奴だ!」と思う人はいないでしょう。
でも世間的にブスとされるような容姿の女性Aさんを「タイプじゃない」と言えば、「山﨑は酷い奴だ!」ってなるわけです。
その理由は「酷い奴だ!」って言ってる人がAさんをブスだと思ってるからでしかありません。
つまり、「(山﨑がブスにブスだという真実を伝えている!)酷い奴だ!」って発想なんですね。
「酷い奴だ!」という言葉はあなたの心の写し鏡なのですよ。
ちなみにここの例えで松岡茉優さんを出したのは僕にとって松岡茉優さんがはちゃめちゃタイプだからであります(はちゃめちゃ!)。
女性の容姿に限ったことではない
今回は話を分かりやすくするために『女性の容姿』に絞って書きましたが、もちろんこれは他のことでも言えることです。
「この服はダサい」は評価で、「この服は着たくない」は好み。
「この料理はマズイ」は評価で、「この料理の味は苦手」は好み。
「この芸人は面白くない」は評価で、「この芸人では笑えない」は好み。
是非それぞれを区別して考えてみてください。
☆以下、有料記事は『評価と好みを分けて考えられていない人はヤバイで』みたいな内容です。
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