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社会はハードランディングじゃないと変わらないのか

フリージャーナリストの佐々木俊尚氏のVoicyを毎朝聴いており、その思考の深さに感銘を受けたりインスパイアされることが多い。

その中で、歴史上日本の社会が変わるためには「黒船来航」や「第二次世界大戦での敗戦」といったハードランディングがないと難しかったのではないかという分析をされていた。
※ちなみにこの話がされていたのは「伝統企業のリバースメンター制度が成長力になるのか問題」という回

もう少し丁寧に解説すると、江戸時代や明治以降の近代など、長く続けば続くほど社会は硬直化し、それになんとか抗おうと人々は努力するがなかなか流れは変えられずに、結局黒船や敗戦といったハードランディングに期待せざるを得ないと思われるが、最初からハードランディングを期待するのも複雑だよねという話だった。

この話を聞いていて、最近の二つの出来事が思い浮かんだ。

一つ目はコロナとテレワーク。
テレワークによる働き方の多様性は元々議論されていて、ツールもコロナ前からかなり揃ってきていたし、テレワークを導入する企業も徐々に増えてはいた。だが、社会的なうねりにはなってなかった。
そこにコロナ禍がやってきて、一気に潮目が変わった。

二つ目は安倍元首相銃殺事件と旧統一教会問題。
自民党を中心とする政治家と旧統一教会の関係は以前から存在していたが、それは大っぴらに問題視されることはなく、安倍元首相銃殺がきっかけで一気にクローズアップされるようになった。

こう書いてしまうと、極論社会を動かすためにはパンデミックや戦争・要人暗殺が必要なのかという話になってしまいかねない。しかしそれはあまりにも暴論で危険だし、そもそも狙った通りに結果がでる類のものではない。

では私たちはどうすればよいのだろうか?
どうせハードランディングが起こらないと変わらないのなら、一人一人の積み重ねなんて無力なのか?
いや、そうではないだろう。やはり地道に自分たちができることをやっていくべきだ。

働き方の多様性やパンデミック、災害時を見越してテレワーク用の仕組みを淡々と開発・啓蒙してきた人たちがいたからこそ、コロナ禍でテレワークが一気に普及した。コロナはきっかけに過ぎない。

旧統一教会問題だって、被害者に寄り添って教団と戦ってきた弁護士や、問題を追い続けてきたジャーナリストがいてこそ、今一気に表面化して多くの情報が白日の下にさらされているのである。こちらも安倍さんの死去はきっかけでしかない。

別にスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクみたいに派手にパフォーマンスをする必要なんてない。
日々の積み重ねが、何かの出来事をきっかけに一気に実を結ぶ。
その種の一粒を蒔いたのが自分であれば十分に達成感はあるだろう。

社会のハードランディングについて考察した結果、結局日々丁寧にできることをやって生きていこうと思ったのであった。


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