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地域経済と私④~初めての農村体験、ごはんのうまみ~(後編)

前編の続きです。前編は以下をご覧ください。

鎌は動かすな、稲を引け

翌朝は、早朝から稲刈り作業。朝の陽ざしがまぶしく、山をぬける空気がとても心地いい。鳥の声も虫の声も何もかもが新鮮に思えました。
朝が来るってこういうことなんだなぁと。

今これを書きながら「自分はいつから朝が嫌いになったんだろうか」ってふと思いました。当たり前にやってくる朝に感謝して、精力的に日中を過ごし、夜はその日一日を振り返りながら家族と笑顔で布団には入れればそれだけで幸せだろうなと感じます。

さて、話はそれましたが、その日は棚田の一反をみんなで刈ることに。
最初におじいさんに稲刈りを指導してもらいます。
鎌は動かすと手を切るから、鎌を稲の根元に押さえつけて、刈るときは稲を引きなさいと教えてもらいます。確かに、これなら危なくないかも!?
ただね、鎌で刈るのって本当に体制がつらくて、普段部活で体を動かしている我々高校生もなかなか大変な作業。

途中、畔で休憩していると、沢に何か生き物がいることに気付きます。沢蟹やらカエルやらがいて、見ていて全く飽きません。当時、息抜きといえばテレビゲームばかりをしていた自分でしたが、その時ばかりは童心に帰って夢中で生き物を追いかけました。
大人になっても、釣りなどのアウトドアをしているとそういう瞬間はありますが、要するに環境次第で娯楽は変わるんだなと思います。だとしたら、自分の子供には少なくとも小川や森の中を走り回る遊びも知ってほしいと今切に願うのです。

何気ない清流が絵になる

結局これが一番おいしいんだなぁ

早朝から始めた稲刈りはお昼前にはほぼ完了。
刈り取った後の田んぼを見て満足げな我々学生3人に、おじいちゃんが笑顔で一言。
「刈り取った後の稲の高さを見てごらん」
そういわれてみてみると、おじいちゃんが刈ったところは高さがそろっていてすごくきれいだけど、僕らの所はガタガタ。
当然ながら刈り取った稲穂の方も高さが違うってことだからやはり宜しくはない。その時、おじいちゃんは笑顔でしたが、農作業から「仕事をする流儀」というのを学んだ気がしました。

さて、お待ちかねの昼ごはん。田んぼの横で棚田米のおにぎりを頂きます。もうね、それはそれは最高の贅沢。
自家製の漬物とちょっとした煮物をつまみながら食べるおにぎりは至極の一品です。
その人にとっての贅沢な食事とは、食事の背景にあるストーリー(この時であれば生産者であるおじいちゃんの人柄や、自分も少しだけ刈り取ったという事実、農作物の育った土地に振れたことなど)が見えることが重要な要素なんだと痛感しました。お米を一粒一粒噛みしめながら。

別れの時、「わかば」の香り

さて、短い期間でしたが、別れの時がやってきました。
来た時と同じようにおじいちゃんに車で送ってもらい、集合場所の集落の入り口に向かいます。友達との久しぶりの再会で心が躍る一方で、おじいちゃんに最後のお礼。

「まぁ、また立派になって遊びに来てよ」

口数は少ないながらも愛を感じる一言でした。そして私たちとのお別れ間際、乾いた唇に小さなたばこ「わかば」を咥えながら大きく手を振って見送ってくれました。

「あまりたばこ吸いすぎないでくださいよ」、そんな余計な一言を最後に別れを告げたのでした。

限界集落に来てみて感じたこと


その当時の自分は正直に言って、素敵なおじいさんとおいしいご飯を食べた、くらいのことしか思っていませんでした。しかしながら、そうした経験は自分の根底に残っていて、自分自身が成長していくにつれて、その時の経験が”今いる世界、今の環境だけが、この世のすべてではない”ということを教えてくれるのでした。

その後、新卒で入社した会社で複数の地方都市に転勤してきましたので、今の自分はどこだろうと住めば都と思える自信はありますし、事実、地方都市の方が首都圏よりも良かったなと思うことがたくさん出てきます。

特に、自分の子供を持ってからは。。。

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