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人生と会社を変えた経営理念〜伍魚福会長・山中勉の言葉(2013年)〜

2013年、PHP研究所が編集、発行した「トップが綴る わが人生の師」という書籍に収録、出版された、伍魚福の会長(当時、現在は名誉会長)・山中勉(やまなかつとむ)の言葉を転載します。

経営理念を作った経緯は既にnote記事として書きましたが、会長視点の言葉は独特ですし、臨場感があります。
私が会長に話を聞いて、文字化してPHP研究所に提出し、掲載・出版されたものです。
書籍では縦書きなので、数字の記載が漢字になっていますが、そのまま掲載します。

私もこのエッセイに登場する吉田先生から中学校の入学祝(昭和53年、1978年)に万年筆を、大学の入学祝に(昭和59年、1984年の2月)ボールペンをいただきました。経営理念ができたのが昭和48年、1973年ですので、長くお世話になっていたんですね。
お顔もお言葉も全く覚えていませんが、ボールペンは修理して今も使っています。そして「経営理念」は今もそのまま使わせていただいています。

吉田先生に指導されたことを今も受け継いでいる、そう考えるととても感慨深いです。

人生と会社を変えた経営理念

株式会社伍魚福
会長 山中 勉

 経営コンサルタントの吉田尚弘(たかひろ)先生と出会ったのは、昭和四八年の初めでした。姫路の成長企業の指導をされていると聞き、経営指導をお願いしたものの既に二回断られていました。
 当時私は三七歳。酒販店に珍味を販売するというビジネスモデルが軌道に乗り、昭和四六年には自宅を、昭和四七年には本社ビルを新築。天狗になっていた私のことを「こいつは指導しても言うことを聞かないだろう」と思われたのでしょう。懇願する私に先生は「私の言うことを聞くか」とぽつり。「聞きます」と約束し、昭和四八年の春から月に一度、指導を受けることになりました。
 高校二年の途中(昭和二七年)から兄の仕事を手伝い、昭和四一年に兄が死に、無我夢中で仕事に打ち込んできた私にとって、先生の指導は独特でした。「常に背中に短刀をあてられたつもりで仕事をせよ」等、仕事への姿勢を厳しく指導されるものの、具体的なことは何も教えてくれません。「お前の夢は何だ」「どうしたいのか」など質問をされ、課題を与えられ、自分たちでできるまで考え、形にする。年商二億の時代に「年商一〇億円」の計画を作ったのも先生の指導によるものです。
 「今年中に経営理念を作れ」と言われていましたが、私はもっともらしい理屈を人に教えたりするのが嫌いな性分ですからずっと逃げ回っていました。
 とうとう「経営理念を作らないのであれば経営指導はしない」と最後通告。 これは困る、ということで昭和四八年の大晦日、先生に自宅に来て頂きました。二人で二階の書斎にこもり、午後から夜までかかっていろんな質問に答え、まとめて頂いたのが今も会社の中心にある経営理念です。
  一、すばらしくおいしいものを造り、お客様に喜ばれる商いをする。
  二、仕事を通じてお互いに共感をもたれる商いをする。
  三、仕事を通じて人格の向上に喜びを感じるようにする。
 少し高くてもおいしいものを食べて喜んでもらいたい。集金時に値切る行儀の悪い商人と喧嘩して痛感した、気持ちの通じた商売をしたいという思い。土日も休まずに仕事をし、研修の時間も取れない中、仕事をしながら成長できるような会社にしたいという思い。先生から紙を見せられて「これでええか」と聞かれたことをよく覚えています。
 息子が社長になった今でも、会社には吉田先生の教えが生きています。

最後までお読みいただきありがとうございました! 伍魚福の商品を見つけたら、是非手にとってみて下さい。社長のいうとおりになってないやないかーとか、使いづらいわー、とか率直なコメントをいただけるとうれしいです。 https://twitter.com/yamanaka_kan