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人生を変えた面接官〜1987年伊藤忠商事の採用面接エピソード〜

昨日、会長のPHP研究所の書籍原稿を掲載しましたが、私も2016年発行の「いま届けたい”感謝”の言葉」という書籍に原稿を載せていただいたことがあります。

これらの書籍は、企業経営者の原稿を募り、必要部数だけ印刷して直接販売する本ですので、一般には市販されません。
ほとんど人の目に触れていない原稿です。noteのおかげで、その存在を思い出させていただき感謝です。

原稿依頼があった際には、『「ありがとう」を届けたい!―トップが綴る 私を支えてくれたあの人・あの出来事』というようなタイトルの書籍、ということでした。

人生の中でどんな出来事が一番人生を変えたのか、誰に「ありがとう」を届けたいのか、いろいろと遡って考えてみたのですが、学卒後、伊藤忠商事に入社するきっかけをいただいた面接官の方に思い至りました。

いち学生の要望に応じて、面接の日程を調整し、頑張れと言ってくれる、なんちゅう男気のある会社や!と思ったのが原点です。
他の会社で同じ質問をしたところ、今年は就職活動という人生の大事な時期なので、就職活動を優先すべきだ、とアドバイスいただきました。
これも普通に正しい、学生のことを考えてのアドバイスだったとは思いますが。

入社後、この面接官の方と会社の通路ですれ違い、ご挨拶をした記憶があります。
名前もわからないのですが、その方のおかげで今の私があります。

もし、心当たりの方がおられましたら、是非ご教示いただければ幸いです。できることなら直接お礼を申し上げたいです。

人生を変えた面接官

株式会社伍魚福
代表取締役社長 山中勧

 一九八七年八月のある日、私は学生服に身を包み、東京・青山の伊藤忠商事で就職の一次面接に臨んでいました。面接官は、四〇歳位の男性です。 
 私はある相談をしました。
 「インカレに出たいのです」
 大学から始めたアーチェリー。体育会洋弓部に所属し、練習漬けの毎日を送っていましたがなかなか芽が出ず、三年次までは全日本学生アーチェリー個人選手権大会(インカレ)の関東予選さえ通過することができませんでした。
 最後のチャンス。大学四年間の集大成として絶対に出場したい。
 ところが、当時は就職協定が最も厳しい時代。大学四年の夏、面接がその予選の時期と重なってしまったのです。
 「わかりました。面接の日程は調整してあげるので、頑張りなさい」
 なんという「男気」のある会社だろう。感激すると同時に、私の心の中で伊藤忠商事が絶対の第一志望になりました。
 その強い思いが通じたのか、内定をいただくことができました。
 幸い面接日程が重なることはなく、関東予選を通過。十月に大阪で開催されたインカレに出場、結果は三十何位でしたが、悔いなく大学での競技生活を終えることができました。
 一九八八年四月、伊藤忠商事に入社。東京・大阪、法務部・アパレル部門での七年間、たくさんの同僚、先輩、後輩、関係企業の皆さんとのご縁をいただき、得がたい経験をさせていただきました。
 阪神大震災後の一九九五年四月。父親の経営する珍味製造卸、株式会社伍魚福に入社。今、社長としてやっていけるのも、伊藤忠商事時代の経験やご縁によるところが大きいです。
 振り返ると、その起点となったのは、あの時の面接官の方。
 あなたのおかげで今の私があります。本当にありがとうございました。

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以下蛇足。
本文中に「学生服」とありますが、編集者から校正で帰ってきた原稿をみると「リクルートスーツ」となっていました。
体育会洋弓部の正装は、詰め襟の学生服です。
従って原稿も「学生服」が正解なので再修正して戻してもらいました。
成人式、就職活動、卒業式など全て学生服で済ませましたので、私の私服のセンスが養われなかったのは、これに起因しています(笑)。

そういえば、ドラマの半沢直樹も、東京中央銀行の前身、「産業中央銀行」の面接を学生服でしてたなぁと思い出し、検索してみると、ありました!

堺雅人さんの学生服姿、いいですねー。
ドラマ上の設定もバブルの時期、1990年頃なので私の少し後輩にあたりますね。
私もこんな感じだったはず(笑)。

あと、大掃除をしていたら、昔の日記的ノートが出てきました。
インカレは37位だったそうです。

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