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全部音楽です。 (連続テレビ小説 『エール!』 2020年/NHK/全120話)

エールを観終わっていない人は読まないとして、エールが終わってしまった。それも突然に。物語的に下り坂な終わり方…とかいう意味じゃなくて、放送自体が尻切れとんぼに、急流すべりみたいに突然、どっぱーん!と終わってしまった。

そもそも先月くらいから、「あれ?これ今後の放送スケジュールどうなってんだろう」とは思っていた。本来9月で終わるはずが、撮影休止の影響で数ヶ月放送が延びていたし、かといって朝ドラ2期分の3月までやるには長すぎるし…。そしたら先週になっていきなり「次が最終週ダヨ!」とか言い出したのである。

他の作品は142話くらいで終わるのが通常のところ、結局エールは120話で終わってしまった。しかも先週まで滑らかに美しい流れの物語だったのに今週が突然の最終週だったもんだから、二階堂ふみが3分ごとに5つ歳を取るみたいになってた。

特に最終週における東京オリンピックのくだりの省略っぷりは凄まじかった。もしかすると将来的な開催があればそれに併せて作り直したりするのだろうか?

第1話にて描かれていたオリンピック開会式のシーン。本来であればそこに至るまでの話がたくさんあったのだろうけど、バッサリ切り落とされていた。布石へと繋がるはずだった物語が繋がらなかったこと、「来るはずだった未来が訪れなかった」ことを痛感した。撮影か開始された時点と今とで瞬く間に世界が変貌を遂げたことを目の当たりにして、茫然とした。

エールはどこまでも時代を描くドラマだった。裕一という主人公の人生の話、なんて個人的なもの以上に、もっと壮大な、社会の写し鏡のような。それは裕一の愛する「音楽」もまた、時代を写す鏡として常に世の中の役割を担うからかもしれない。エールという作品までもが今の社会に翻弄されてしまったのは皮肉でもあるけれど……。


とはいえだ。終わり良ければすべて良し。金曜日の大円団カーテンコールコンサートがめちゃくちゃ良かった。めちゃくちゃ良くて見ながら泣きすぎてめちゃくちゃ鼻をかんで全然音が聴こえへんやないかいって。

最後に長崎の鐘を歌った二階堂ふみ、初期の頃より歌が格段に上達していた。撮影が延期になった期間に歌の練習をしまくれたのかな。頬が痩けていたのは晩年の撮影にあたり体重を一気に落としたからだろうか。彼女の音さんへの入り込み方も凄かったな。昭和の映画の女優さんと同じ声の出し方をしていて一人だけタイムスリップしてるみたいだった。

最終週は一気に年老いた夫妻の姿を見せられて少し苦しかったけど、ある意味では苦しい時期があっという間に過ぎて良かったとも思う。特に最終回の終わり方はとっても良かった。朝ドラって続け続ける方がどう終わらせるかよりも簡単そうだ。それくらいに人の人生に区切りをつけるのは難しい。

晩年の裕一が「歌謡曲もクラシックもない。全部音楽です」と言っていた。本当にその通りなんだよ。私もまた音楽を愛する者として、これからもできるだけいろんな音楽を聴いていきたい。音が鳴ってて魅力的ならなんだって心が引き寄せられるんだから。

ここまで「音楽を愛することについて」描いた長編作品ってないと思う。音楽映画とか、今どきのだとジョン・カーニー監督の映画とかが「音楽を愛することについて」描いているけど、いうて2時間ちょいだし、やっぱり物理的な放映時間が長い方が描ける言葉の量も増えるし。15分✕120話=30時間だし。

人ひとりの人生を30時間に要約して誰かに見せるのって物凄い仕事だな。

嗚呼、

長崎の鐘が鳴る。

半年とちょっとの間、ありがとう、エール!


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