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犬牽と行く美術館・博物館⑥江戸東京博物館『ひきつがれる都市の記憶―江戸東京3万年史』2021/9/18~12/5
※この記事は日本の伝統的なドッグトレーナー〝犬牽〟の目線で美術館・博物館を巡る連続シリーズです。初めて読む方にもわかりやすいように犬牽の説明等、他記事と重複する箇所が多々ございます。ご了承ください。
○はじめに
前回の『大江戸の華ー武家の儀礼と商家の祭ー』に続いて、今回も墨田区は江戸東京博物館で開催されている展示会についてご紹介。
○『ひきつがれる都市の記憶―江戸東京3万年史』
本企画展は江戸東京博物館が2022年4月から大規模改修工事に入る節目に、博物館が建つ東京という土地の旧石器時代から現代までの歴史をズラッと紹介する内容になっています。
そう、まさかの来年から休館期に突入なんですよね・・・。
再び私が踏み入れられるのは、なんと2025年(仮)!!
な、ながい・・・。
なんてこったという感じですが、しかし永遠に閉まり続けるわけではないので、新しい姿になった江戸東京博物館を楽しみに待ちましょう。
そして今回の企画展なのですが、実はここで展示されている1点だけを観に訪問したと言っても過言ではありません。
それだけ私にとって、もっと言えば犬牽にとって重要な作品をご紹介いたしましょう。
○『江戸名所図会 後編 十二 太田道灌「山吹の里」の場面』
こちらが今回の旅の目的、天保7年(1836)斎藤幸雄,斎藤幸孝,斎藤月岑(編)+長谷川雪旦(画)『江戸名所図会 後編 十二 太田道灌「山吹の里」の場面』です。
『江戸名所図会』は斎藤家3世代によって書き繋がれた、江戸の地誌集(特定の地域に関する諸説明書)ですね。
その中でも今回紹介するのは江戸城を築城したことで有名な武将、太田道灌の所謂〝山吹伝説〟を描いたページです☟
右側のページ、弓を携えているのが道灌です。
山吹伝説を簡単に説明すると、こんな感じ☟
①道灌が鷹狩を行っている。
②その最中、雨が降ってくる。
③蓑を借りようと、一軒の家に立ち寄る。
④しかし出てきた娘(左ページ)は蓑ではなく、山吹の花を差し出す。
⑤意味不明だと怒る道灌。
⑥しかし後に、山吹には和歌によって「貧しく蓑も持っていない」ことを伝える意味があったことを知る。
⑦道灌は自身の無知を恥じ、和歌に励んだ。
ちなみに山吹伝説の舞台とされる場所は各地に見られ、私の近所である新宿地区にも像があります。
いずれも真相は不明ということですが、だからこそ色々考えを巡らすことができて盛り上がりが見られるのでしょうね。
さて、なんで私はこのページを観るためだけに江戸東京博物館に足を運んだのか。
それは、この白犬を観るためです☟
この犬が〝鷹犬〟かどうかが、大きな問題なのです。
鷹犬とは、鷹狩にて獲物である鶉や雉などの野鳥を発見及び追い出しを役割とする専門犬たちのこと。犬牽の仕事の9割は、この鷹犬に対するサポートに割かれていました。
確かに右側には鷹を据えた(鷹を拳に乗せた状態)鷹匠の姿が見えますし、山吹伝説は鷹狩の最中に起きた出来事とされています。
なので鷹犬と判断しても何ら問題なさそうですが、この犬がノーリード=〝放犬〟なのが問題なのです。
私の著書『江戸のドッグトレーナー』を読んでくださった方々ならばご承知でしょうが、基本的に鷹犬は引綱を付けた状態で鷹狩に参加します。
そもそも鷹狩で鷹犬がノーリードで歩き回るためには、獲物も鷹も襲わない(咬まない)よう覚えてもらう必要がありました。
そのために行われるドッグトレーニングが、獲物や鷹を襲いそうになった鷹犬を棒で叩くというもの。
あまりにも、暴力的です。
しかし、犬牽の伝統的な理念は犬の権利の尊重。
つまり、放犬のトレーニングとは相反するのです。
だからこそ徳川吉宗の時代に考案されたとされる放犬は広まることなく、それを示すように江戸時代に描かれたほとんどの鷹犬が引綱を付けた状態で描かれているのでしょう。
そこに、この1枚ですよ。
風のうわさを聞いた私は、もしかしたら『江戸名所図会 後編 十二 太田道灌「山吹の里」の場面』は放犬を描いた大変珍しい1枚なのかもしれないと思い立ったのです。
ただ、実際に拝見すると断定できるかと言えばそうでもなかった・・・。
問題は、次の2つ☟
①犬牽の存在
そもそもこのページに、犬牽と断定できる人物がいないのです。
確かに手前の人物は犬牽に該当しそうですが、鷹匠が被っているように獲物からバレないようにする被り物を彼だけがしていないのは不自然です。
更に犬牽が持ち歩くオヤツ入れ=〝打飼袋〟や、誘導に使用する棒〝策〟などの専門道具を一切持っていないのも気になりますね。
まぁそれを言うと、鷹匠も実は道具や詳細な情報は描かれていないんですよね・・・。
②弓矢の存在
加えてもう1つ、このページがリアルな鷹狩文化を描いていると言えるのか?という問題が。
なぜなら、道灌の手に弓矢が握られているからです。
そもそも鷹狩に弓矢は必要ありません、だって獲物は文字通り鷹=大鷹や隼が捕らえてくれるのですから。
ちなみに江戸名所図会には他にも、葛西浄興寺に鷹狩終わりの北条氏康が宿を求めたという故事を描いた1枚にも弓矢が描かれていました。
確かにそれまでも弓矢と鷹狩を同時に描いた絵画は存在します。存在しますが、どれも鷹狩単体ではなく猪狩りや鹿狩りなど複数の狩猟を同時に描いた絵画(巻狩り図等)に見られるのです。
つまり、作者がしっかりとリアルな鷹狩を取材/題材にしている可能性が低くなってしまうということが弓矢の有無から考えられるのです。
以上の点から、この犬が放犬を描いているとは確定しにくいわけで・・・。
それ以上に犬牽の存在を確定できなければ、そもそも鷹犬かどうかも怪しくなってしまう・・・現代の地域猫のように人々から食べ物や寝床を提供される〝里犬・町犬・村の犬〟だった可能性も否定できなくなるのですから。
いやはや、一体あなた(犬)は誰なのだ!?
○最後に
かの有名な河鍋暁斎の作品『太田道灌 山吹の里』は『江戸名所図会 後編 十二 太田道灌「山吹の里」の場面』とそっくりな構図をしています。
しかし、そこに犬の姿も犬牽(?)の姿もありません。
道灌と鷹匠、そして娘だけが見事に描かれていました。
このようなトリミングのされ方を見ると、鷹犬や犬牽に対する絵描きの意識の低さが窺い知れてしまいますね。
ただ誤解のないように言うと、鷹犬や犬牽の姿をしっかり描いた絵描きも勿論いました。
彼らの作品があるからこそ、多くの事実が現在でも見ることができるのです。
本当に感謝、感謝です・・・。
だからこそ放犬に関しては今後も資料を嗅ぎつけつつ、真相に迫っていけたら・・・!
ではまた、どこかの美術館・博物館で。
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