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旅日記

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世界各地の旅先で感じたことを徒然なるまま、書きました。
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#コラム

自分の意思を明快に伝えられない日本人の苦しみとは!?

自分の意思を明快に伝えられない日本人の苦しみとは!?

I can’t help you!

この一言が、今でも私の心に響いています。

といっても、これはちょっと恥ずかしいようなユーモラスな、同時に深刻な話です。

インドのムンバイでのことです。

その日、前日食べたものが悪かったのか、朝になって食あたりの症状に悩まされたのです。

しかもその日は休日でもあり、アメリカから来た仕事仲間で友人の夫婦とムンバイの街を観光する予定でした。

彼らとは朝9時

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パレスチナ自治区ヘブロン(1/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(1/4)

エルサレムはイスラム教、キリスト教各派、ユダヤ教が混在する古都。高台から遠くをみると、新造の万里の長城かと思えるユダヤ系とパレスチナ系の人々を分断する「壁」が見渡せます。

そんな旧市街にあるダマスカスゲートという城門に、パレスチナ人のタクシーの運転手が集まる一角があります。そこで、アラブ系の運転手を捕まえ、ガザと共にパレスチナ人の自治が許されたヨルダン川西岸West Bank、ジェリコ Jeri

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パレスチナ自治区ヘブロン(2/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(2/4)

ヘブロンの中心にある古く大きな建物は、半分がユダヤ教徒、残りがイスラム教徒の祈りの場。中にも壁があるのです。コーランを読む声が拡声器から流れるなか、前の広場は重装備のイスラエル軍兵士が四六時中警備に当たっています。パレスチナ人居住区は、そんな広場の脇の陰惨な二重の鉄のゲートを潜った中の薄暗い路地に沿って広がっていました。

パレスチナ人の運転手と共にしか入れない地区。その薄暗い路地の頭上には黒いネ

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パレスチナ自治区ヘブロン(3/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(3/4)

出入りは自由にできず、人々は食料を調達し、仕事するために国境を越えなければなりません。それが厳しく制限されると、地下トンネルを掘って密入国です。イスラエル側はそこからハマスなどの兵士が自爆テロとして潜入すると非難します。

それは一部事実でしょう。追い詰められた人々が過激になり、イスラエルに向けて攻撃をします。そのトンネルの入り口が一般市民の住むところにあり、武器を学校や市場に隠しているため、イス

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パレスチナ自治区ヘブロン(4/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(4/4)

パレスチナの人々はよく話し、人懐っこい。彼らは外国人の訪問者となるとお茶でも飲んでゆけと笑顔で誘います。その笑顔が心に残ります。

パレスチナ問題は、テロ対策、石油の利権とも絡み、中東各地の政治問題の原点です。とはいえ、人と人とが対立するために、そこに壁を造り、人を追い込み閉鎖することは愚かなことです。

万里の長城などにはじまり、近年ではナチスドイツがユダヤ人を閉じ込めたゲットーの壁、その後東西

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シカゴ Belmont Avenue の思い出(1/4)

シカゴ Belmont Avenue の思い出(1/4)

3月も終わりというのに、シカゴは氷点下。風の強い街で知られているだけに、寒さはひとしおでした。仕事が終わり、ふと久しぶりにミシガン湖沿いをドライブしてみようと思い立ち、高層ビル街を北へと抜けます。やがて、右手に風に煽られて慌ただしく波立つ湖畔が広がります。湖といっても、五大湖の一つ。大きくて向こう岸は見えません。陽は少しずつ傾き、家路に急ぐ車も増え始めていました。

しばらく走ると、Belmont

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シカゴ Belmont Avenue の思い出(2/4)

シカゴ Belmont Avenue の思い出(2/4)

2006年9月26日、一人の女性が90歳で息を引き取りました。

彼女の名前は Iva Ikuko Toguri。

Toguri Merchandise を経営していた Fred Toguri の妹です。

Iva は、太平洋戦争中、アメリカ軍兵士から Tokyo Rose というニックネームで呼ばれていました。戦前、Toguri 一家はロサンゼルスで雑貨店を営んでいました。Iva Ikuko

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戦後がまた一つ、シカゴの Belmont Avenue の思い出 (3/4)

戦後がまた一つ、シカゴの Belmont Avenue の思い出 (3/4)

1945年に戦争が終わると、Iva はなんとかしてアメリカに帰国しようと考えます。ところが、その資金を得るために受けたインタビューでの証言が元で、Iva は日本でアメリカ側に拘束されてしまったのです。1948年、アメリカに送還された Iva を待っていたのは、国家反逆罪という重い罪での裁判でした。
裁判で、アメリカ軍は様々な証人をたてて、Iva を裁こうとします。結果は禁固10年、市民権剥奪という

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シカゴ Belmont Avenue の思い出(4/4)

シカゴ Belmont Avenue の思い出(4/4)

そんな Tokyo Rose のストーリーをそっと抱く Toguri Merchandise。

Belmont Avenue を、速度を落として運転しながら、昔の記憶をたどって探しましたが、店は見つかりませんでした。ホテルに戻り、ネットで調べると、去年閉店したということです。街の雰囲気は、以前とさほど変わっていません。その中で、ぽっかりと穴があいたように、Toguri Merchandise は

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ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(1/3)

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(1/3)

サンクトペテルブルクにあるドストエフスキーが住んでいたアパートのすぐそばに、食品市場がある。ドストエフスキーもそこに立ち寄って黒パンに紅茶を買っていたかもしれないなどと思いながら、売り場を巡った。

白衣に白いスカーフをかぶったおばさんが並んでいるところでは、にしんの薫製やイクラなどを売っている。イクラはロシア語でもイクラ。そんなことを覚えたのは、ニューヨークはブルックリンにあるリトルオデッサでの

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ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(2/3)

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(2/3)

おっと、そういえばニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるカフェレジオというイタリア系のカフェの奥には、なぜか大きなサモワールがあった。あのカフェでエスプレッソを飲みながらよく知人と話をしたものだ。

そのカフェからほんの2分も歩けばワシントンスクエアに至る。スクエアではストリートパフォーマンスの前に人だかりができ、木陰ではチェスに興じる男達が。そんな広場の角にはとても枝振りのいい楡の木が。その

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ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(3/3)

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(3/3)

「ニューヨーク歴史物語」の企画の取材のため、友人の撮影に同行し、彼のお気に入りのホットドッグ屋で遅いランチをとったことがあった。そのあと、ブルックリンに足を伸ばし、コニーアイランドの錆び付いた遊園地を撮影した。

帰りに寄ったブライトンビーチ。曇天のなか街は重く錆び付いていた。ああ、グリニッジ・ヴィレッジに戻り、カフェレジオで暖かいカプチーノを飲みたいと思ったことを今でも覚えている。

あれから1

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鉄とチーズケーキ: ニュージャージーとニューヨークの小さな旅

鉄とチーズケーキ: ニュージャージーとニューヨークの小さな旅

ニューヨークで久しぶりに列車に乗った。

プリンストンまでの出張。そこにある語学研究所での打ち合わせが目的だ。

プリンストンといえば大学都市で有名で、アメリカの知の集積といっても過言ではない。

でも、ニューヨークから現地までの窓辺の光景はそれとは正反対。

よくこの国が、宇宙開発ができるものと思うほど、そこは錆び付いた鉄の世界。

しかも利用している列車ものろのろガタガタ。

ちょっと晴天なの

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ハバナの風、強者どもの夢の跡

ハバナの風、強者どもの夢の跡

1946年の晩秋、一人の男がハバナの港に降り立った。男の名前はラッキー・ルチアーノ、一時はニューヨークを拠点に全米を牛耳っていたマフィアの大物。出身はイタリアのシシリーである。彼は、8ヶ月前にアメリカからイタリアへ強制送還されたばかりだった。

迎えにきたのはルチアーノの片腕で、ニューヨークのシマをとりしきるマイヤー・ランスキー。「トムが大統領候補だって。なんとかならないのかい」ルチアーノはランス

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