サンクトペテルブルク2

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(3/3)

「ニューヨーク歴史物語」の企画の取材のため、友人の撮影に同行し、彼のお気に入りのホットドッグ屋で遅いランチをとったことがあった。そのあと、ブルックリンに足を伸ばし、コニーアイランドの錆び付いた遊園地を撮影した。

帰りに寄ったブライトンビーチ。曇天のなか街は重く錆び付いていた。ああ、グリニッジ・ヴィレッジに戻り、カフェレジオで暖かいカプチーノを飲みたいと思ったことを今でも覚えている。

あれから15年の歳月が流れてしまった。

再びサンクトペテルブルク。

あの日、ドストエフスキーの家を後に、ネフスキー通りをネヴァ川に向かって歩いた。大通りの右手にあるプーシキンがよく通ったというカフェに立寄る。街はあのブライトンビーチのときと同じく薄暗くそして寒かった。あれもすでに7年前のこと。

今年の秋、私は再び仕事でロシアを旅する予定だ。そして、あのときと同じように、ロシアからフランクフルトを経由してニューヨークに渡る。

そうだ、フランクフルトの空港では乗り継ぎで遅れそうになり、走ってゲートに行くと、「サンクトペテルブルクからの乗り継ぎでしたね」といって地上係員が私の名前を呼んだ。ロシアからニューヨーク行に乗り換えたのは私一人だったのだろう。慌てるまでもなく、係員は私がゲートに急いでいることを知っていたようだ。

移民を産み出した国。そして移民が流れ込んだ国。この二つの国を代表する二つの都市、サンクトペテルブルグとニューヨーク、19世紀に逞しく生き抜いた人々の亡霊の透明の糸によって、やはり結ばれていたことを、飛行機の窓の下の雲を眺めながら今年確認するのも楽しみの一つである。

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