【実録】タイ射撃会社ものがたり#3
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前回のお話しです。
10時というショッピングモールの開店時間に合わせた優雅な朝イチでも、夜中の2時、3時までクラブ活動をしていたワタシにはきつかったの。
ナイトクラブ。
バンコクでもゴーゴーバーなんて下品なところではなくて、クラブであそぶの。
そういう日本人観光客もいるの。
パッポン通りだのタニヤだので40、50歳のおっさんが、ハタチそこそこの娘をひな人形みたいにならべて選ぶな、バカ。
ワタシは相手に拒否権の無いセックスは暴力だとおもう。
最終的になにがしかの金銭が介入するとしても、クラブで出会って、話して、酒をおごって、やっぱりやめてもアリなの。
シェラトンホテルの「リバース」、ノボテルの「スクエア」、独立系は「Q bar」に、「Bed」。
夜のクラブ活動にいそがしく、9時半くらいになんとか起きて渋滞のバンコクをバイクタクシーでカッ飛んで、ショッピングモールへ急いだわ。
朝イチのワタシのシゴトは、モールの各所にある宣伝棒にチラシを入れてまわること。
日系のデパートをふくむ3つのデパートが集結した巨大モールだから、けっこう歩くのね。
社長が来るまえにくばり終わるのが理想だけれど、いつも戻ると社長が憮然とタバコを吸っていたわ。
そうね、地下とはいえ、デパートの中で喫煙できた。
社長は高村、こうむらさん、といって、広島のヒト。
実はこのヒト、本物。
幹部自衛官だったのよ。
だからタイ陸軍の施設がつかえたのね。
日本とタイの軍隊は旧日本軍からのおつきあいだし。
しかも15歳から高等工科学校、防衛大の生え抜き。
お父さんもたぶんその系統じゃないかしら。
「むかしの陸軍幼年学校ですか」って言ったら、
「おぬし、ようそんなこと知っとるな」
ますます気に入られちゃった。
「どこで幼年学校なんて聞いたんだ」
「いや、一部のエリートしか入れなかったとは知っています」
年齢がバレるけれどワタシが子どものころは、8月にはテレビ各局が争そって「戦争モノ」の2時間、3時間の大作を放送していたわ。
「戦艦武蔵」、「硫黄島」
バイセクシャル傾向は年とともに強くなったから、小学生のワタシはフツーのオトコノコに近かったの。
空手っていったけれど、拳法のほうが正確な武道もやっていたし、そういうドラマは見かければ必ず鑑賞したわ。
あとで「世界旅行」をしたときも、パラオでスキューバもしたけれど、ちゃんとペレリュー島まで行って慰霊もしたのよ。
「ペレリューまでわざわざ来るのは珍しい」って、それこそ旧軍のかたに褒められたわ。
ペレリューはパラオの島なんだけれど、アンガウル島を見捨てたあとの激戦区で、北部のビーチは「ブラッディビーチ」って今もよばれている。
アメリカ人が「ハネムーンビーチ」かなんかの名前をつけたけれど、パラオの人はそんな名前じゃ呼んでなかった。
でも、社長にはペレリューのハナシはしなかった。
なんでかは分からないわ。
次回のお話しです。
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