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毒親であったことを認めて生きていくしかないのだろう

1日中泣いた。

気がつけば涙が出ていた。

私のそれなりに頑張ってきたつもりでいた子育てが実は子供にとってはただの毒親だったのだと、子供が思っていると知ってしまった。

これは私の約20年が全て否定されたことに等しい。



他に大切なものはなにもなかったからだ。

自分の幸せなんて後回しでいいと思っていた。それが生んだ人間の責任。

だから私はこの20年を子育てにつかってきたのだ。


シングルマザーで養育費などは数か月で止まっていたから、生きるためのお金から大学へ行かせるためのお金、もうダメかもと思いながらもなんとかやってきた。

子供に頼まれたことは何よりも優先してきたつもりだし、何よりも子供がかわいくって仕方がなかった。

でも、それは子供には実は伝わっていなかった。


私のやってきたことは毒親のそれだと子供には感じていたのだ。


たぶん、それは、私が自分で自分を満たしていなかったからだ。

私は枯れていた。幸せではなかったのだ。

子育てをし、子供を愛し、その子供に愛されることで初めて私は幸せを得ることができると思っていたのだと思う。

だから、感謝して私を愛してもらえるまでこれでもかこれでもかというくらいに愛の押し売りをしてしまったのかもしれない。


私は無条件で自分が愛されると思うことができない。圧倒的自己肯定感の低さからだ。だから子供に対してもどれだけ何をしてあげたかがきっと重要だと自然に思ってしまったのだろう。

そしてどこか無理をしていた。だから私は幸せではなかったのだろう。

自分が幸せではなかったから、何かで気持ちが抑えられなくなると、感情を子供にぶつけてしまったのだと思う。覚えているだけでも何度かあるから、きっと子供たちはもっともっと何度も感じていたはずだ。


これで自分をいい母親だと思っていて、何でわかってくれないんだ、何で私を愛してくれないんだと強要していたんだから…確かに私は間違いなく毒親だったのだ。



自分が生まれたから子供が生まれるまでそのほとんど孤独だった。誰かに愛された実感がない。子供が生まれて子供に「ママー」と呼ばれるようになってから初めて誰かに愛されている実感ができた。

でも子供が大きくなるにつれ、それはまたなくなった。私が愛される母親をできていなかったからだ。


子供ができるまでの30年と子育てをしていた20年、結局私の人生50年は何だったのだろうかと思うと、また涙が出る。

誰かに愛されたくて…きっと根本はそこだったのだろう。私は誰にも愛されていないのだ。

愛を知らない人間が子供を育てるとこうなってしまうのだ。

そこそこ立派な母親のつもりでいたが、全然違った。もっと自分自身の人生を楽しみ、その中の1つとして子育てをしている母親の方がきっとずっと子供にとっては良かったのだ。母親本人が幸せではないとダメなのだ。

幸せな人間しか誰かを幸せにすることはできないのだ。



泣きながらずっと自分の気持ちを整理してやっとここまできた。

20年の期間の整理だからまだもう少し時間はかかるだろう。


たぶん私はこれから、自分が毒親であったということを認めることが必要なんだと思う。「私は違う」と子供にわかってもらおうとしてもそれが何になる?自分はそのつもりではなかったが、そう感じたのは子供だ。

その過去はもう変えられない。子供がそう感じた以上、私は間違いなく毒親だったのだ。

まずはこれを受け入れることだ。

ただこれは私の必死にやってきた20年の子育てが全て否定されることだ。それでも受け入れる、心がどんなにえぐられても受け入れることだ。


そしてできることなら私は自分を幸せにしてあげよう。誰かのためにと思って自分を犠牲にした人生は結局こんな結果になってしまった。私の20年、いや50年は全て意味がなかった。

たぶん人間はまず自分が幸せにならないといけないのだ。

私は自分の幸せは後でいいと思っていた。まずは大切な人を幸せにしてそれができたらようやく自分が幸せになる番だと思っていた。

これがまちがいなのだ、きっと。

まず、自分が幸せにならないと人を幸せにすることはできないし、表面で繕っても、無理をしている私にように何かあった時に感情を爆発させてしまうのだ。

もう一度、私は、自分を大切にしてみようか…と思う。

生き方をこれほどガラッと変えるのはすごく難しい。

それがいいと思ってずっと50年も信じて生きてきたのだから。でも人を大切にして生きてきた結果がこれなのだから。

もしかしたら、今回のこれは神様が私にそれを教えるために与えてくれた「事件」なのだろうか…。

あと私の人生は20~30年くらいだ。もうそろそろそうやって生きろと教えてくれているのだろうか。


それでも、「あなたたちのため」を無言でアピールしてやってきてしまった人生だ。

これ今さら自分中心にと言われてもどうしていいかわからない。

全部が人基準だったのだから。誰かの幸せな顔を見るのが私の幸せだったのだから。

今さらどうやって変えていけばいいのか…。そして今から自分勝手になって「自分勝手だよね」と言われるようになるのも本当に怖い。それは私が最も嫌いな人種だからだ。

でも、たぶん、今、それをしなければいけない時なのだろう。

過去の自分の人生が無だったとわかったのだから。必死にやってきたことは全部裏目に出てしまっていたのだから。


私はもう一度、改めて自分の人生を生きる覚悟をしなくてはならないのかもしれない。


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