山田海子/気がつけば毒親になっていた

生きるのがどうしようもなくつらくなった時、誰にも言えないその心の中の声を綴る。 シング…

山田海子/気がつけば毒親になっていた

生きるのがどうしようもなくつらくなった時、誰にも言えないその心の中の声を綴る。 シングルマザーで自営業、誰かに頼ったこともない。表の顔は幸せに見えるかもしれない、でも本当は今にも倒れてしまいそうで、一人で涙を流すのも疲れたのでここに書いてみる。

最近の記事

見えないものを見ようとするから傷つくのはわかっているのに、それでも見てしまうから生きるのがつらくなる

直接言われたことだけを意識するのであれば、人はきっとたいして傷つくことなく生きていけるのかもしれない。 なのになぜ、見えないものまで見ようとしたりわざわざ探したりするのだろうか。 本当に自ら傷つきに行くようなものだというのに。 たとえば浮気などもそうだろう。 その現場を目撃でもしてしまったならまだしも、わざわざ浮気をしていないか?気持ちが離れてしまっていないか?などを、一生懸命探して、本当は浮気ではないものでも浮気だと決めつけて傷ついて怒って別れたりするのだ。 エゴ

    • シングルマザーの本当のつらさは親としての悩みを全て一人で背負うことだと思う

      シングルマザーとして生きていく場合、経済的な問題があるのはもちろんだが、もうひとつ覚悟しなければならないのは、自分の子供に対して同じ立場の人間がいないということだ。 子供はさまざまな問題をもってくる。 次から次へと。 それも突然に、心の準備もないうちに。 親としてそれをどうするべきか、どうこの問題を解決すればいいのか。 シングルマザーの場合は、この全てを常に自分一人で解決しなければならない。 夫婦が揃っていれば、その問題は2人の問題だ。 一緒に解決策を探すことが

      • 子育ての難しさ|自分のことなら悩む時間を持てるが子供の悩みには即答するしかないから難しい

        自分が何かを悩んだ時は、その答えを出すまでに即答しなければならないということはあまりないだろう。 悩み時間があるわけだ。 じっくり悩んでから答えを出すことができる。 しかし、これが子供のことだったらどうだろうか? 例えば、子供に朝、「学校に行きたくない」と言われたら、その場で何かしらを答えなくてはならない。 子供はその「学校に行きたくない」というまでに悩んだはずだ。 それを親に言っていいのかどうか。 時間をかけて、前日から悩んでいたかもしれない。 でも、親は即

        • 親なんてものはなんてつまらないものなんだろう

          親なんてものはなんてつまらないものなんだろうか。 時には食べるものも我慢し、できるだけのことをしてきたつもりでも、子供は、もっと大事なものや信じるものができれば、親のことなどは忘れてしまう。 それが自立というものであり、そうやって子供が自立できるようになるために親は今までせっせと育ててきたわけだが。 それでも、やはり悲しくなることもある。 少しくらいは自分のことも大切にしてくればよかったのかもしれない。 自分の全部をかけて育ててきた子供も、もう自分のものではなくなる

        見えないものを見ようとするから傷つくのはわかっているのに、それでも見てしまうから生きるのがつらくなる

          未熟だった親のことを子供は決して忘れてはいない、それを親は忘れてはいけない

          人というのはある程度の歳になると、勝手に今まで自分がしてきたこと自分の中で風化させ、まるで自分が聖人であるかのように勘違いをしてしまうととがある。 いろいろな本などを読み、自分の心を磨く努力をし、生き方を見直す。 そんな修練をしていると、自分が立派な人間なったような気がしてしまうのだ。 確かに、成長はしたのだろう。 何も考えずにそのまま生きてきた人間よりは、他の人にやさしくできたり、時には「できた人」などといわれることもあるのかもしれない。 すると人はますます自惚れ

          未熟だった親のことを子供は決して忘れてはいない、それを親は忘れてはいけない

          「立派な親」と自分で思うことだけはしてはいけない

          あんなに泣いたのに、今はもうすっきりしている。 ずいぶんと立ち直りが早いな。 少し申し訳ない気分だ。 ただ、どん底までとことん落ち込んだのは本当だから許して欲しい。 本を読んだり、思考を整理し書き出したり。 今までの自分のままではダメだと思った、だからいろいろ自分が納得して前に進めるように、心にじっくり向き合った。 ひとつ、徹底的に変わったのは自分のことを「立派な親」だと思うことをやめた。 立派とまでは言わなくても、私は自分のことをそこそこいい親だと思ってうぬぼ

          「立派な親」と自分で思うことだけはしてはいけない

          それでも人は生きていくのだろう

          「もう消えてなくなりたい」 「私はこれから先、生きてていいのだろうか?」 とあれほど泣いたのに、また朝が来ている。 人というのは結局こんなふうに生きていくのだろう。 ある意味では強く、ある意味ではずうずうしい。 こんな自分を少し誇らしく、そして軽蔑もする。 それでも私は生きていくのだろう。 もちろん、まだ死ぬわけにはいかないのだ。これは親の責任でもある。いくら毒親であっても、まだ二十歳そこそこの娘を残して死ぬわけにはいかないだろう。 たとえ「存在よ消えてくれ」

          それでも人は生きていくのだろう

          子供の才能を信じることも毒親になりうる

          私の子供には好きなことがあった。 気がつけばそれをしていた。 何かを極めその道で食べていくということは、一般的なレールから外れることであり、その道は過酷だ。 しかし、何か特化すべき才能があり、それを本人も望み、それに向かい努力しているなら、親としては応援してあげるべきだと思った。 間違っても「あなたにそんなことができるわけはない」というような言葉をかけるべきではないと思ったし、「すごいね、うまいね、がんばってみなよ」と本人がより自分を信じることができるような声掛けをし

          子供の才能を信じることも毒親になりうる

          毒親であったことを認めて生きていくしかないのだろう

          1日中泣いた。 気がつけば涙が出ていた。 私のそれなりに頑張ってきたつもりでいた子育てが実は子供にとってはただの毒親だったのだと、子供が思っていると知ってしまった。 これは私の約20年が全て否定されたことに等しい。 他に大切なものはなにもなかったからだ。 自分の幸せなんて後回しでいいと思っていた。それが生んだ人間の責任。 だから私はこの20年を子育てにつかってきたのだ。 シングルマザーで養育費などは数か月で止まっていたから、生きるためのお金から大学へ行かせるため

          毒親であったことを認めて生きていくしかないのだろう

          毒親だけにはなりたくなかったのに

          子供がかわいかった。 大好きだった。 唯一、私が愛することのできる存在であった。 誰からも愛されているという自覚のなかった私が唯一愛を注ぎ愛を受け取ることができる存在をはじめて得ることができたと思った。 子供たちのためならなんでもしてあげたかった。自分の人生とかどうでもよかった。 自分も幸せになりたいといってすぐに再婚するような人を軽蔑していた。 私は離婚したが子供が巣立って一人で生きていけるようになるまではそのすべてを子供のためにささげようと思っていた。 でも

          毒親だけにはなりたくなかったのに

          愛される親でいたかっただけなのに

          私はシングルマザーだ。娘が二人。 生活は苦しい時もあった。 ペットボトルの飲み物が買えなくて、麦茶を飲んでいたし、国産の肉も買えない時期も長かった。 それでも途中から自営での仕事もうまくいくようになって、奨学金も借りることなく子供たちはそれぞれ一人暮らしをしながら私立の大学に通っている。 世間的にみれば立派なお母さんだろうか。 そういわれることもある。 再婚は考えたことはなかった。 子供たちが別に父親を望んでいるわけではないのに、再婚するっていうのはただの私のわ

          愛される親でいたかっただけなのに