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意図しない生き方

最近、若い女の子のお話を聞く機会が多くなって、けっこうみんな何らかの何かで苦しんでいるんだドグけども。

大きいのは計画が破れて苦しむってことなのかな? って思ったんだドグ。(*´Д`)

なりたいものになれないとか、
彼氏を作るのに一生懸命やったのにできないとか、
仕事で評価されるためにがんばってるのに評価されないとか。

大抵のことは、意図した通りにならないことで人は、苦しむんだドグ。(´;ω;`)

でも、巷には「意図せよ!!」という本ばかり。意図して、目的を達成するために努力せよ!! という本ばかり。

じゃあ、それが叶わなかったらどうすりゃいいの? 意図っていうのは人間の意図でしょう? 
って、ドグ子思ったんだドグ。

ドグ子は、なぜかいつも意図して目的のものになれなかった時、手放してきたから。(*´Д`)
私は今、コラムニストだけど

本当になりたかったのはお笑い芸人だったんだドグ。

お笑い芸人になりたくて、東京でコンビも組んでて、「あ、コレなるの十年以上かかるな」って思った時に、東京をあきらめたんだドグ。

とにかくその頃は実家のおばあちゃんの元に帰りたくて。潮時だと思って3年いた東京から青森に帰ることにしたのね。(*´Д`)

そうしたら、
帰る寸前にお笑いコンビの相方に勧められたぴあの賞で引っかかって。
帰るのと同時に、ぴあでの連載が決まったんだドグ。

こういうことは、
人生で山ほどあって。

出産したらコラムニストを続けられないんじゃないかと、諦めて産んだ途端に育児日記の仕事が来たり……たまひよこっこクラブで書けたり。
何かを手放すと、何かが入ってくる人生だったんだドグ。(*´Д`)

それで、一体私は何を手放していたんだろう?と思って。
最近、考えていたんだドグよ。

それは、

自分が決めた

筋書きを捨てること。

最善って何なのかって、
実は人間は知らないんだドグね。
自分が意図したものを最善だと思ってる。そして、それが破れたとき非常に苦しむわけドグ。

でもさ

破れても大丈夫よ。

破ったのは、自分の意思の限界なの。
そこが、限界突破の道なの。
全部捨てて、コラムニストになったら、テレビの仕事が来て。気づいたら私、土偶を被ってテレビに出てた。

「あ、コレって若い頃、やりたかった仕事じゃん」
って思ったんだドグ。

本当は

やりたかったことなんて

いくらでもできる。

サッコちゃんと弘前公園

意図を外しさえすれば、思いもよらない展開は訪れる。
若くないと輝けないとか、思っちゃダメ。

私の大好きな日本のマザー・テレサ、佐藤初女さんが注目を浴びたのは、
70歳からだった。
意図をはずす。

何よりも大事なのは、

これじゃなきゃダメをはずすこと。

東京じゃなきゃダメとか、自然な出会いじゃなきゃダメとか、この仕事でなきゃダメとか。
持ってるものは、エネルギーなの。

そのエネルギーを表出させていればいいの。

小説家の佐藤愛子先生だって、小説家になったのは怒りのエッセイストとして注目されてから。書いても書いても、小説家になれない日々を送り、夫の借金数千万を肩代わりしてから、そのことを書いて小説家になった。

意図しないこと。
意図してなることが讃えられる世の中を疑って見ること。意図を外す自由を味わうこと。

人の評価という不自由な枠にとらわれないで。

もっと自由に、生きようドグ〜!(●´ω`●)

ドグドグ☆

※今回のエッセイは昨年11月の今頃に書いたものの再掲です。
過去の自分のエッセイに自分が励まされる。。。(*´Д`) 意図を外して、生きたいドグ〜!


毎日、楽しい楽しい言ってると、暗示にかかって本当に楽しくなるから!!あなたのサポートのおかげで、世界はしあわせになるドグ~~~!!