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講演会というお仕事☆

初めて呼ばれたおしゃべりの仕事は、今から15年前。東京の自由が丘武蔵野館という映画館での深夜上映でのトークショーでした。

新藤兼人監督の映画を特集すると聞き、「新藤兼人監督に会えるのかも!?」と勘違いした私は青森県から交通費込み2万円というギャラでトークショーを快諾。しかし、トークショーって英語で言ったら二人以上の会話ドグけど、日本語のトークショーって、一人喋りなんだドグね……。

会場に着いてから「話すのは私一人」という事実を知り、「本日は岸田今日子さんについて語っていただきます~!」と言われ、岸田今日子さんのことは保毛尾田保毛男のお母さん役だったことぐらいしか知らず、本当に人々に迷惑をかけた内容のトークショーを展開することになってしまいましたドグ。。。(;´Д`)

話すのが苦手だから物を書いているのであって、話すのが得意だったら物なんて書いてない……。

と、打ちひしがれることもできましたが。当時、私はそんなこと言ってられないほどの貧乏で、アルバイトをしない方の生き方を選択してしまったので

どんな仕事でも来たらやると決めていたのですが、本当に精神的にボッコボコになるほど「話してもウケない現場」というものは辛いものがありましたドグ。

その前にやっていたお笑い芸人志望と白塗りダンサーの仕事は、トークの現場で全然活かせなかったドグ~。(;´Д`)

でも、「できないできない」と言っていたら、本当にできなくなるから。ドグ子の信条は「できなくても、やります!」と言い続けることなので。

やってダメなら謝ればいいじゃない。こっちは、お金がないんだから!! と、トークショーの仕事も引き受け続けましたドグよ。

トークがまともになってきたのは、仏教の勉強を始めてからドグ。青森市で開催されていた親鸞聖人の仏教を学ぶ講座で「地獄の解釈がそもそも最初にブッダが語ったものと違ってしまっている」ということを覚えたドグ子は、「そういえばブッダが生まれるより以前には、地獄そのものが存在しない。なぜなら、地獄っていうのは思想だからね!!」

と。元より興味のあった縄文の死生観なども合わせて、仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)という、ロシアの文豪・トルストイも絶賛したというお経のストーリーを呼ばれた先々で語るようになり、「地獄の伝道者」として一応の成功を得たのです。

でも、しゃべるのがうまくなったのは2011年以降。3・11の後、あまりにも世の中が暗くなってしまったので「小学校限定・無料講演会」というのをHPで告知したところ、タダだとあちこちから講演の依頼が来るようになったんだドグ。

そこで、何度も何度もタダで話し続けたことで、講演のスタイルが決まり、その頃はとにかく子どもを元気にしたかったから、アヴリル・ラヴィーンの「GIRL FRIEND」に合わせて講師が踊る……!! というのを付けて回っていたドグ。

最終的には、全力で踊りすぎて酸欠で倒れ、「もっと、体力を温存して楽しませなければ」という思いから、テイラー・スウィフトに合わせてみんなでラジオ体操をする、という講演スタイルに決まったんだドグ~。(途中からやっぱり、踊るけどね☆)

今では、手から気を出す方法も会場の人全員に伝授できるようになったドグ子。

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気を出しているところ☆

最近は、日本のマザーテレサと呼ばれた故・佐藤初女さんのお話だけで90分という講演もやれましたドグ!

講演の仕事は、毎日勉強したり出会って経験した事が、すべて身になっていくお仕事ドグ。でも、自分の不甲斐なさを乗り越えるのに、本当に10年という時間がかかりましたドグ……。

私が成長するまで、待っててくださった青森県の皆さん。本当に感謝ドグ~!!\(^o^)/

子どもたちから寄せられた手紙☆ 死ぬ間際にもう一回読みたいドグ☆

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