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老老親子が手にした『キラキラ人生』

「あんた今日は降りてくるんが、遅かったねー」朝、私がリビングに顔を見せると待ち兼ねたように母が話しかけてくる。
「私もいろいろやる事があるんよお母さん、今まで寝よったわけじゃないけんね」そう言うと、母は「そんなことは分っとるよ」と切り返してくる。

94歳と69歳の老老親子は毎日喧嘩しながら楽しく過ごしている。
母は誰に何を言われても自分の考えを絶対に曲げない、まっすぐでかなりめんどくさいおばあちゃん。そんな母に育てられた私も、自分の考えを曲げることが無い頑固な娘。老老親子の毎日はある時は微笑ましく、またある時は言葉のやいばが飛び交うバトルな日々、でも二人は今キラキラした人生を送っている。


【老老親子の会話】


頑固なおばあちゃんと娘の日常会話は、言葉のジャブの応酬だ。
「あんたは、ホントに恐ろしいよ、もうちょっと優しに言うて」
「お母さんも優しく言うて」
「あんたは思いやりが足りんのよ」
「お母さんに似たんよ」
そんな親子の会話を織り交ぜながら、老老親子が『キラキラ人生』を手にするまでを綴ろうと思う。私たちが『キラキラ人生』を手にすることが出来たのはそれぞれが生きがいを見つけることが出来たからだ。私たち親子の日常は、高齢化社会を楽しく生きる一つのサンプルになると思う。

【バトルな日々】

父が亡くなってから私は母と二人で暮らしている。いつの間にか17年が過ぎた。
4年前に定年を迎えた私は、地方局でマスメディアの仕事を43年間続けていた。現役時代はアナウンサーや番組制作に携わり、65歳で定年退職した。それから一気に母とのバトルな毎日が始まったのだ。
私が退職したのはコロナ禍真っ只中の2020年春。

退職後、私たち親子の日常には喧嘩が絶えなかった。
思ったことをはっきり言う母とそれに必ず反論する娘。知らない人が聞いていたらきっと「恐ろしやこの親子」と思うに違いない。


「あんた、今日もまた家の掃除するんかね、言うとくけど何でもかんでも捨てたらいかんよ、私にちゃんと聞いてからにしてや」
「お母さんの物を捨てる時はそうしょうわい、ほじゃけど私のもんを捨てる時には聞かんよ」
「あんたは、絶対後で捨てるんじゃなかった言うて、後悔するんじゃけん」
「ほじゃけどもったいない言いよったらいつになっても、家の中が片付かんけんね」一事が万事こんな感じで、二人の間には冷たい風が吹いていた。

コロナ禍で、外に出られない上に、母の介助もある私は、家にいてどうにか時間を有意義に過ごそうと、大掃除を始めたのだ。しかしそれが母には好ましくなかったようだった。

私が捨てようとビニール袋に入れているものを母が再びチェックして元に戻すようなことを繰り返しながら、大掃除は一ヵ月かかってやっと終わった。

「あんた、私のスカーフが見当たらんのじゃけど、捨ててしもたんじゃないんかな
「お母さんのもんは一切触ってないよ、探してみて」
大掃除なんかせんでええんよ、いらんことして

こんな会話を繰り返していた私たちは、噴火寸前の火山状態だった。

ある朝、母が私に言った。
「私はあんたと居っても癒されんのよ」
私もすかさず言った。
「それは私のせりふじゃけん」
母は両手で顔を覆って涙ぐんだ。
それは母のパフォーマンスだったのかも知れない。
しかし私はいよいよその時がやってきたと思った。私たちは限界を迎えていたのだ。

この日を境に、私は一つの決断をした。
「このまま二人でバトルな毎日を送っていたら今以上に大爆発を起こすに違いない、だから二人で協力して一つの事を始めよう」と。


【娘の決断◇ブログ発信】

ある日、私から切り出した。「お母さん、二人でブログを発信しようと思うんじゃけど、どうかな、私が文章を書いて、お母さんは俳句を紹介するんよ、これまで頑張ってきた俳句が生きる時が来たよ」
すると母は「ブログ言うて何のこと、また変な事を考えよるんじゃろ、私は絶対にせんよ」
「お母さん、俳句40年以上やってきたろ、その成果が実る時よ、いろんな人にお母さんの作品を紹介出来るよ」と言うと、母は真顔になって「俳句をみんなに知ってもらうんは絶対にええと思うよ、それで私は何をするんぞね

私はこの時とばかり、「お母さん毎日俳句を詠むんよ、それを私がブログに解説付きで紹介するけん、それとお母さんが毎日日記に描きよるイラストも描いてくれんかなー」と提案すると、母は「あんたは、何言よるん、私のイラストがSNSで通用するわけなかろがね、私は嫌よ」そう言って拒否した。

しかし私はどうしても母のイラストが必要だと思って説得した。
「お母さん、俳句が分からん子どもにもイラストがあったら俳句を分かってもらえるし、大人もイラストがあったら、俳句の深い所を感じてくれると思うよ」そう言って私は拒む母にイラストと俳句のコラボ作品を勧めた。

母はそれがきっかけでイラストに目覚め、イラストが生きがいになったのだ。


【老老親子に光が差した】

私たちは思い切って、毎日SNSでブログ発信を始めた。母は娘が書く文章のトップ画面のイラストと、イラストと俳句のコラボ作品を毎日創作するようになった。
母はそれまでとは別人のように、毎朝リビングでイラスト制作をするようになった。

「あんた、このイラスト描いてみたんよ、あんたの文章に合うかなー、私とあんたの2ショットよ、二人とも笑顔にしてみたんじゃけど・・・」と問いかける母に私は「流石、お母さん、予想以上にええ感じに描けとるね、お揃いのファッションが可愛いわい」と褒めると「ほーかなー、一生懸命考えたんよどんなんがええか」と、私たちの会話はこれまでの冷たいものとは違ってきた。


「あんた、明日使う俳句なんじゃけど、色々考えてみたんよ、梅雨はこの間詠んだけんねー、何かこの季節のトピックスはないかなー」「紫陽花が咲いとるらしいよ、ニュースで紹介しよったよ」と私が伝えると「あんた、新聞持ってきてや、ええ発想が生まれるかも知れんけんね」と母は旬の情報を貪欲に吸収するようになった。ブログ発信のために母は情報ハンターになったのだ。

それまで眠っていた母の前向きな心が大きく動いたのが分かった。

「私、新聞はお悔やみ欄から見よったんよ、ほじゃけど最近は一面から見るようになったわい、おかしなもんじゃな―」と母。「お母さん、間違いなく情報通になったよね、私が知らんでも教えてくれるもん、展覧会の情報やイベント情報もよう知っとるねー」と私が褒めると「それはね、イラストを描くためのヒントになるけんよ」母は謙遜するように言った。

ブログを二人で始めたことで、私は会社で仕事をしていた頃のように自分自身のエネルギーをブロブに注ぎ、母は母で、生き生きとイラストを描き、俳句を詠むようになった。
私たち親子は老人と言われる年齢になって、SNSと出会ったことで、老老人生に光が差してきたのだ。


【ラッキーの連鎖反応】

お互いが前向きになってくると色々なことが動き出した。母はイラスト熱が高まって娘の私が見ても進化を感じるイラストが生まれるようになった。母の前向きな思いと私のポジティブな取り組みがいい化学反応を起こし始めたのだ。
投稿を始めて3年を迎えるのをきっかけに、私は母のイラスト展を開催することにした。ポジティブな気持ちでいると色々な事が前に向かって進んでいくんだと思った。

あんた、どんなイラスト展になるんかねー、私も楽しみなわい、私の年に合わせて93点展示するんじゃったら厳選せんといかんねー」と母。「お母さんが本当に気に入っとる作品と、来てくれる皆さんが楽しめるような作品を選ばんとね」私がそう言うと「あんた、15,000点もあるのに選ぶだけで大変じゃわい、私は全部展示して欲しいくらいじゃ」と欲張りなことを言っていた。

私はそんな母をサポートするために展示会場や展示方法を模索した。初めての事はとにかく想像力と人脈が必要だった。たくさんの人たちのお世話になって会場を見つけ、作品を厳選して、いい形でイラスト展を迎えた。

「あんた、新聞社やテレビ局に取材に来てもろて、嬉しいねー、これでみんなが見に来てくれたら私は最高に幸せもんじゃわい、あり難い事よ」と母。「お母さん、敬老の日を最終日にしたんは意味があるんよ、私も現役で仕事しよったら取材に行きたいと思たわい、93歳の初めてのイラスト展、それも始めてたった3年なんじゃけん」と言うと、「あんたのおかげよ」と母はいつになく私に感謝の言葉を伝えてくれた。


【始まったキラキラ人生】

母の初の個展はデパートの特設会場で開催した。1週間の開催期間に1,000人の人たちが会場に来てくれた。90歳から目覚めてたった3年で進化した母の作品を目にした人たちは口々に言っていた。
「何でも始めるんに遅い事はないねー、私も今日からやってみよ」
「うちのお母さん80歳なんじゃけん、まだまだこれからですねー」
「私も絵が好きじゃったんです、早速明日からやってみます」
多くの人の前向きなコメントが母の心に響いた。そして、もっと頑張りたいと言う気持ちになった。

私はイラスト展で母の生き方とイラストの力を改めて実感した。
そのイラスト展の開催が私たちにまた新しい出会いと、挑戦を生んだ。

母はこう言った。「あんた何でも続けよったらええことがあるねー、私はこれまで93年間生きてきて本当に幸せな時を迎えることができたわい、これからは楽しみながら続ける事、これを目標に出来る限り続けていこうと思うんよ」
私は母に言った。「お母さん、イラストに出会って本当に良かったね、これからも描き続けてイラストからも元気をもろたらええわい、お母さん楽しくやっていこや」

老老親子は瞳を輝かせて会話した。

今日も母は朝起きてすぐにイラストを描きながらニコニコしている。90歳で出会ったイラストに感謝しながら。

母が言った。
「あんた、ええんが描けたわい、見てみてや、よかろう」と。
「お母さん、流石じゃねー、相当ええと思う」すると母は少女のように瞳をキラキラ輝かせで笑っていた。

私たち老老親子はこうして『キラキラ人生』を手にしている。



最後までお読みいただきありがとうございました。
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また明日お会いしましょう。💗







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