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歳をとると必要とされなくなる

地方局でアナウンサーをしていた頃、20代~30代は「あなたにやってもらいたい」と指名されて、様々なイベントの司会や講演会で各地に出掛けていました。私の存在が必要とされていたのです

当時は、自分に足りないものもありましたが、若さとやる気で補っていました。
求められるものに応えることができる実力が備わってきた40代以降は若い頃程求められることが無くなってきました
求める側が、扱いにくい年代になったからかもしれません。
必要とされるのは失敗が許されない、特別なイベントに限られていました。
それは50代になって加速します。

そして60代になってからは、本当に必要とされなくなりました
もちろん自分の能力によっても違ってくると思いますが、アナウンサーの世界では60代ははじかれる年齢なのです。
そして定年退職をして2年の私は、尚更それを感じています。

「人はある年齢を過ぎると人から求められなくなっていく」それが最近の実感です。

都会でナレーターをしている人たちの需要も年齢を重ねるごとに少なくなってきているようです。50代以降のナレーターは若い声優やタレントとしのぎを削る事で仕事にあぶれている人が多いと聞きました。
熟年のナレーターは名の知れたごくわずかな人たちが活躍するのみです。
キャリアを積んだ熟練の技があっても、その技の違いにこだわる使い手も少なく、本業だけでは生計が成り立たない人もたくさんいると言う話を聞きました。

アナウンサーとナレーター、求められるものが違っていても、そこに年齢という壁が立ちはだかっていることは同じだと思います

私は人の可能性は年齢に関係なく、果てしないと信じています。
身近にいる92歳の母がnoteの投稿を通じてイラストに目覚め、日々進化している様子を見ていて、人に思いがあれば、必ず進化し続けることも分かっています

歳をとる事によって必要とされなくなる今の時代にいら立ちを覚えています
「67歳の私だってまだまだできる」私はその人に、やる気さえあれば働き生き続けることが出来ると信じています。そのために、自分自身を絶え間なく磨いていかなければと思っています。


【毎日がバトル:山田家の女たち】

《あんたに力が無い言う事よ》

※92歳の母と私の会話です。

「やろうと思うことはやっみたらええ、認められようと認められなくても、信念を持ってやる、それで認められたら幸せよね

「私は仕事を何らかの形でやる事は諦めんけん」

「あんたのような考えの人ばかりじゃないわい、60歳過ぎてのんびりした人も居るけん、人は様々よ、歳に関係ないかも知れんよ、あんたに力が無い言う事よ

最後は私の実力不足だと言い放たれてしまいました。そうかもしれません、でも私は進化を続けて必要とされるように力を蓄えていくつもりです




最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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