山田眠猫

ズレの多い人生を送ってきました。

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最近の記事

帽子をめぐる迷走

身体方面でのズレがもう一つ。というか一体いくつ出てくるのか。自分でも悲しくなってきたが、そこはごまかさずに全てさらけ出したいと思う。 あなたは帽子は好きだろうか。 いやいったい急に何だと思われるかもしれないが、私はわりと好きだ。 特に、大して高いものでもないのに、かぶっただけでちょっとおシャレ気分になれる手軽さがいい。かぶる帽子によって気分も変えられる。TPOに合わせて、いろんな帽子をかぶる楽しみもある。 幼少のころは阪急ブレーブスの帽子をかぶっていた。これは別に阪急

    • 珍手相

      そういえば、フィジカルなズレでもうひとつ大きなのがあったのを忘れていた。 手相である。 手相と言うと、あなたはどのようなものを思い浮かべるだろうか。 手のひらの左右から、下に伸びる感情線、上に伸びる頭脳線が、交差せずすれ違いながら双曲線のように並び合っている、あの手相ではないだろうか。 私のそれはちょっと違っている。 感情線と頭脳戦が完全に一本の線としてつながっていて、手のひらの上を水平に横断する直線になっている。 人差し指と親指の間から、手首に向かってカーブを描

      • 80年代の日本の田舎でプリンスを好きであるということ

        前回、映画音楽の話を書いたが、その後も私の音楽の趣味は周囲から順調にズレたまま進んでしまうのであった。 中学生活が深まって部活や勉強が忙しくなると、かねてよりのエアチェックの習慣はなくなったが、ラジオを聞く習慣だけは残ってしまった。そして夜中にこっそり深夜放送を聞くうちに、興味は以前からちらほら耳にしていた洋楽の方に移っていった。 そもそも、愛聴していた映画音楽の番組は、クラシックなものばかりでなく当時の新作映画の主題歌も流していたので、自然に洋楽ポップスやロックへの親し

        • 小5と映画音楽

          なんだか自分の嗜好は友達と違っているのだ、というズレをはっきり自覚し始めたのは、小学4〜5年生くらいの頃だったと思う。相変わらず野球社会には背を向けていたが、それ以外のところでは小学生の社会にも適応し、仲の良い友達とマンガクラブを結成してアラレちゃんやドラえもんを模写したり、飽きたらまた同じメンバーでプラモクラブを作ってガンプラの組み立てにいそしんだりと、それなりに小学生ライフを満喫していたのであった。 しかし、そうは言っても友達にちょっと開陳しにくい趣味もあった。つまり、

        帽子をめぐる迷走

          ズレている身体

          子供の頃のズレエピソードは掘り返せば貝塚の貝のごとく出土するが、あまりそこばかり掘っているとなんだか世をはかなんでしまいそうなので、もうちょっと即物的な面からも書いてみたい。 実は私の体もいろいろズレまくっているのである。 いやズレているといってもそれほど深刻ではなく、他の人に比べるとなんだか妙、という中途半端な感じが、逆にズレ味をいや増しているようにも思われる。 例えば、足跡。 夏場のプールを思い出してみてほしい。プールサイドへざばりと上がって、炎天下の焼けたコンク

          ズレている身体

          野球社会に背を向けて

          ミラーマンでズレ始めた私の人生はその後も着実に、事あるごとに世間からズレようとしていた。物心ついてから、自分の嗜好は皆と決定的に違うのだな、と自覚したのは小学生のころ。当時、それをたしなむか否かで子供の社交界に大きく影響を及ぼすものがあった。すなわち、野球。 今も野球は国民的スポーツではあるが、Jリーグなどの台頭、キャプ翼やスラダンの影響でスポーツの人気は多様化し、かつてほどの独占状況にはない。しかし私が小学生をやっていた昭和50年台において野球といえばこれすなわち大正義。

          野球社会に背を向けて

          ズレ始め

          いったい私はいつごろからズレ始めたのか。幼いころの記憶を辿ってみたいと思う。 例えば、私の一番古い記憶は何か。 ミラーマン。 いや一体何を言い出すのかと言われそうだが、ミラーマンなのである。 いきなりの豪快なズレっぷりにもうくじけそうだ。さようなら。さようなら。 普通こういうときは、母に手を引かれ夕焼けの中を歩いたとか、父の背中で泣いていたとか、そういうほほえましく郷愁を呼ぶものだったりするんじゃないのか。 それがミラーマンて。 ウルトラマンとか仮面ライダーとか

          ズレの多い人生を送ってきました

          数十年生きてきて、はなはだ痛感することには、どうも私は世間からズレているらしい。 価値観、嗜好、行動、ステータス。何もかもが微妙にズレていて、思えば人生の1/4くらいをこのズレの修正に費やしてきた気がする。 その甲斐あったのかどうか、なんとか進学し、就職し、家庭も持てたが、ここに至るまでには数知れぬズレからのリカバリーがあったのである。 断っておくが、人からズレている自分を「人とはちょっと違う私」としてカッコイイと思ったことはない。 たぶんないと思う。 なかったんじ

          ズレの多い人生を送ってきました