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ズレ始め

いったい私はいつごろからズレ始めたのか。幼いころの記憶を辿ってみたいと思う。

例えば、私の一番古い記憶は何か。

ミラーマン。

いや一体何を言い出すのかと言われそうだが、ミラーマンなのである。

いきなりの豪快なズレっぷりにもうくじけそうだ。さようなら。さようなら。



普通こういうときは、母に手を引かれ夕焼けの中を歩いたとか、父の背中で泣いていたとか、そういうほほえましく郷愁を呼ぶものだったりするんじゃないのか。

それがミラーマンて。

ウルトラマンとか仮面ライダーとか、超メジャーなヒーローならまだしもである。なのに。

ミラーマン。

いや私が生まれた昭和46年当時はゴールデンタイムに放送されていたメジャーな特撮番組だったはずだが、やはり続編のない悲しさ。いまやすっかり懐かしのマイナーヒーローとなってしまった。

このミラーマンが、憶えている限り私の一番古い記憶なのである。なぜなのか。



憶えているのは、ミラーマンが何か怪光のようなものが飛び交う暗い空間をバックに、両手を挙げ足を広げたXのポーズで、画面下から上に向かってびよーんと伸び上がるように現れるシーン。これだけ。

怪獣との戦いとか、ドラマパートとか主題歌とか、他のところは全く憶えておらず、そのシーンだけが幻灯機の歪んだ映像のように幼い私の脳裏にあった。

幼稚園児くらいの頃、友達の家にあった絵本や、パチものっぽい主題歌のレコードでミラーマンに親しんではいたが、DVDはおろかビデオデッキすらない時代。物心ついてから動いているミラーマンを目にする機会は、夕方に再放送があった小3のころまで待たなくてはならなかった。

幼い頃から自分の記憶にあるにもかかわらず、実際の番組は見たことがないので、再放送されることを知った私は夕方5時半にいそいそとテレビの前に座りチャンネルを回したのである。

見て驚いた。自分が記憶していたシーンは、オープニングで主題歌が流れたあと、「ジャーン」というコーダとともに流れるミラーマンの巨大化シーンだったのである。これだ。と思った。自分の記憶の一番奥底の、かろうじて開けられる引き出しに入っている映像。まさしくこれだ。実際の放送に自覚的に触れていないのにもかかわらず、私の脳裏に焼き付いているミラーマンのイエーイポーズ。

今調べてみたが、ミラーマンの本放送は昭和46年12月から翌47年11月。ちょうど私が生まれて数ヶ月後から1歳ちょっとの頃にあたっている。このときに本放送を目撃していれば、それが記憶として私の脳裏に焼き付いてしまったということもあり得なくはない。



しかしである。なぜミラーマンなのか。たとえば同時期に放送されていた「帰ってきたウルトラマン」でないのはなぜか。いや特撮ヒーローでなくとも、子ども向け番組とかアニメとか、子供好きのするキャッチーな番組は他にも山ほどあったではないか。そこに見た目にも内容的にも渋いというか、ダークというか抑制が効いているというか、つまり地味なミラーマンをなぜわざわざ選んで脳内に焼き付けてしまったのか。

このズレが、その後の私の人生を決定づけているような気がしてならない。これが原因なのかどうか、私は派手でメジャーなものよりも、地味でマイナーなものをどうしても好んでしまうのだ。

そして当然、私はミラーマンが好きだ。好き過ぎる余り、大人になってからわざわざこのためだけに会員になりレンタルビデオで見直したり、CSでの再放送を全部録画してDVDに焼いたりしている。そして見るたびにオープニング映像の最後と、自分の記憶の中にある映像との微妙なズレを楽しんでいる。そして他の昭和の特撮番組もいまだに好きだ。ネット配信で子供と一緒に当時の番組を見ていると、なんだか自分の中にある特別な場所に帰ってきたような気持ちになる。



ただ一つ言えることは、これがミラーマンではなく、その裏で放送されていた、もっと暗くて地味で人気も低く視聴率もアレだった「シルバー仮面」でなくて本当に良かったということである。もしシルバー仮面だった場合、その後のズレは今よりもさらに激しく致命的なものになり、今頃は私も取り返しの付かない特撮オタとなってネット上で実相寺昭雄論をとくとくと語っていたかもしれないのだ。

まだミラーマンで良かったのかもしれない。

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