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小5と映画音楽

なんだか自分の嗜好は友達と違っているのだ、というズレをはっきり自覚し始めたのは、小学4〜5年生くらいの頃だったと思う。相変わらず野球社会には背を向けていたが、それ以外のところでは小学生の社会にも適応し、仲の良い友達とマンガクラブを結成してアラレちゃんやドラえもんを模写したり、飽きたらまた同じメンバーでプラモクラブを作ってガンプラの組み立てにいそしんだりと、それなりに小学生ライフを満喫していたのであった。

しかし、そうは言っても友達にちょっと開陳しにくい趣味もあった。つまり、音楽鑑賞である。

いやそれのどこが開陳しにくいのか、という話であるが、その頃小学生が音楽に親しむといえば、音楽の授業と発表会、習い事のピアノやエレクトーンの他には、テレビから流れる歌謡曲やアニメの主題歌、小遣いを貯めて買うレコードが関の山、という時代であった。インターネットやYouTubeなどは未来オブ未来。どこの星の話か、である。

当時、男子は松田聖子や河合奈保子、女子はたのきんトリオやシブがき隊に親しみ、ベストテンやトップテンを毎週視聴してはチャートの動向を把握、お調子者の男子は掃除の時間にイモ欽トリオやアラジンを振り付きで歌い、そのためにラジカセをテレビのまえに据えて録音ボタンをオン。周囲の雑音や母ちゃんの罵声にイラつきながら歌を録音して覚え、などという通過儀礼を経ていた。

私も歌番組そのものは見ていたが、それは世間の話題についていくための勉強だった、という面も、正直なところ、ある。もうそのころから私は自分と世間とのズレを埋めようと意識していたのかもしれない。



では当時の私は、本当はどんな音楽が好きだったのか。


映画音楽。


ぬうう。


良く言えば渋い、悪く言えばおっさん臭いチョイスである。

いや、これがまだ「角川映画の主題歌が好きで、薬師丸ひろ子とか原田知世を」というのならまだしもである。しかし。

私は父が持っていた「世界映画音楽名曲集/ヨーロッパ編」という二枚組のLPをこよなく愛聴していたのであった。昭和五十年代後半、小学生が家具調のステレオで「第三の男」とか「地下室のメロディー」を熱心に聴いていたのである。仮に、現在小学生のウチの息子がYouTubeとかで「アメリカン・ニューシネマ名曲集」とかを狂ったように聴いていたらどうか。やはり親としてはお前ホントにそれでええんか?と訝しむであろう。止めはしないが。



なぜそのような古いレコードを好んでしまったのか。そのきっかけは007である。当時、新作の公開に合わせて007の特番が放送された。「水曜スペシャル」だったと思う。そこで過去の007の主題歌がいくつかサワリだけ流れたのだが、そこで大変なインパクトを私に与えた曲があった。

ゴ〜〜ルドフィンガ〜(分かる人は心の中で歌うように)。



それまで大して音楽に興味などなかったくせに、いきなりこの曲を「なんかいい」と感じてしまった当時の自分のセンスはちょっと大丈夫か、と今では思うが、とにかく大変に私の耳に残ってしまった。あの比するものがない面妖なメロディ。かつて聴いたことのないねっとりとした曲調。そしてシャーリー・バッシーのグイグイくる歌声。どれをとっても大変なインパクトであった。

もういっかい聴きたい。

と当時の私は真剣に思ったのである。しかしなにぶん当時ですら古い映画だった。レンタルビデオ屋などは影も形もなかった時代である。どうすれば聴けるのか皆目わからない。なお、レコード屋に行ってサントラを注文する、という知恵はなかった。小遣いも。

という時にふと思い出したのが、父の家具調ステレオに積まれていた例の二枚組である。もしかしたら、とそのボックスを出し、曲目をチェック…「ゴールドフィンガー」あった!ウソ!聴きたい!と、父にせがんでかけてもらった。その時の父としては「なんでこの子はこんな古いんを…」と訝しんだと思うが、その心情を考えると自分も親となった今ではなかなか味わい深い。

レコードの針を盤面に落とす父。スピーカーから流れてくるブッ…パチパチ…というノイズ。固唾をのんで聞き入る私。流れてくるイントロ。



…なんか違う。

こんなチャカチャカした曲だったっけ。あと、歌がいつまで経っても始まらない。

と、呆然としているうちに、曲が終わってしまった。しかしLPのボックス裏にはちゃんと「ゴールドフィンガー」と書いてある。

父に頼んでまたかけてもらった。しかし自分の求める曲とは何だか違っている。なぜなのか。

執拗にリピートをお願いするうちに父の機嫌が目に見えて悪化していったので、私は疑問と不満とを抱えたまま引き下がらざるを得なかったのである。もちろん今現在の知識で考えると、この盤は日本独自のいわゆる企画もので、一部はオリジナル音源からの収録だったが、多くは国内で新録されたカバーであったと思われる。しかも「ゴールドフィンガー」の場合、主題歌ではなくサントラの中のインストバージョンの更にカバー、という回りくどい状態であった。当時の私が抱いた違和感もやむを得まい。



この不満が私を駆り立てたのであった。自分の行動範囲の中で、どうやればあの「本物」の歌を聴けるのか。私は長期にわたる行動に出た。この執拗さは今考えても我ながらちょっと引くほどである。この粘り強さをなぜもっと他の分野に生かさなかったのか。



父のレコード棚を探しまくった。ない。祖父のレコード棚も漁ってみたが、古賀メロディや大正琴が出てくるばっかりでどうにもならない。そうこうしているうちにレコードのかけ方を覚えてしまった。例の二枚組は盤に傷がつくほど聴きまくった。ここで「第三の男」とか「パリの空の下」とか「シェルブールの雨傘」とか「太陽がいっぱい」とか、他にも素敵な曲がたくさん入っていることを知り、そちらも聴きまくった。当時父が購読していた「スクリーン」誌の映画音楽のページを読み漁り、バックナンバーを引っ張り出してきては怒られた。ジョン・バリーとかミシェル・ルグランとかニーノ・ロータとか映画音楽家の名前も覚えた。バックナンバーを漁っているついでに「007特集」が載っている号を発見して、過去の秘密兵器とか悪役とかも軒並み覚え、007本編も観てみたくなった。しかし、目的の曲はまだ聴けない。

そんな知識の渉猟を行っているうちに、だんだん映画や、映画音楽全体に対する興味が芽生えてきてしまった。たとえばミシェル・ルグランには「風のささやき」という名曲があるらしい、とか。007のジョン・バリーは「野生のエルザ」でアカデミー主題歌賞を獲っててしかも歌唱は「ロシアより愛を込めて」のマット・モンローだ、とか。するともう例の二枚組だけでは物足りない。なにか新しいトラックをドロップしてくれ、と当時の自分はそんな用語は言わないが、似たようなことを思ったのである。



そうだ、ではラジオだ。

当時、自分専用ではなかったが、父が買ったまま放り出してあったラジカセがあった。生のカセットテープもあった。そして、新聞には毎週FMの番組表と、放送される曲名がつぶさに載っていたのである。エアチェック文化全盛の時代であった。そこで私は地方のFM局が毎週やっている「スクリーン・ミュージックをあなたに」という番組を発見。毎週木曜の夜8時にラジカセの前でスタンバイし、ごく自然にエアチェックを欠かさない生活に入っていったのである。

その番組は、中学に入るあたりまで、足掛け3年位聴いていたと思う。毎週欠かさずエアチェックをしていたので、テープもそれなりの本数溜まった。祖父が当時出回り始めたダブルカセットのラジカセを買ったので、押しかけてダビングに使い、お気に入りの曲ばかり集めた編集テープまで作っていた。祖母も毎週押しかけてくる孫の謎の情熱に若干引き気味だった覚えがある。

肝心の「ゴールドフィンガー」は、もう小学校も卒業しようかという年の正月に番組で007特集があり、そのときに念願かなってエアチェックできた。このためにこの番組を春夏秋冬聴き続けてきたようなものである。録音ボタンを押す手が震えた。その後、録音したテープは真夜中のベッドの中で猿のように何十回もリピートした。とかく思春期のはじめの覚えたてというものには限度がない。



ここまで入れ込んでいたのだが、その情熱を共有できる友達は残念ながら周囲にいなかった。無理もない。そもそも小学生なのにジョン・バリーとかジェリー・ゴールドスミスを語りたいと思うほうがどうかしているのであって、さすがに当時の私もそれは判っていた。ただせめてもの自己主張として、友達と「プロジェクトA」を観に行った後日に主題歌を聞かせてあげるなど、遊びのBGMとしてそっと秘蔵のテープを流すくらいであったが、友達が反応するのは「ロッキーのテーマ」くらいが関の山で、その他はスルーされ私は虚しく友達と「ひょうきん懺悔室」ごっこに興じるなどしていたのであった。つらい。

しかし、多感な年頃の入り口に映画音楽を聴き続けたというのは、音楽、音響という後年の自分の生業にとって思いがけない財産となったのも事実であった。音楽的に幅広いジャンルをカバーする映画音楽という分野を聴いたことで、結果的に様々なスタイルの音楽を吸収し、自分の血肉にすることができたのである。人生何が役に立つかわからない。こればかりは当時の自分のズレにブラボーである。

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