評価を信用しすぎない
振り返って評価をしても、悪いと思っていた作品が売れる場合があります。
作品を測る尺度が、自分と他人で食い違っていたのです。
売れるかどうかが、世の中に受け入れられるかの目安になりますから、自分の物差しを疑うべきです。
ここに反論はあると思いますが、売れない良い作品は個人で楽しむ作品なので公開しても無意味になります。
自分と限られた人が個人的に楽しむだけです。
明確に数字になって現れる現象を尺度にしないと、評価できません。
もし普遍的な価値を求めて芸術至上主義を中心に置くなら「またつまらぬ作品を作ってしまった ───」と言い続けます。
「評価に意味がない」とする理由は3つです。
1 評価はすぐに反転する。
2 評価する基準が曖昧である限り、評価も曖昧である。
3 世の中の反響を基準にするなら、自己は評価主体ではない。
ただし、評価しようとする努力を投げ出してはいけないはずです。
自分が評価をしなかったら、作品を認識できなくなります。
評価は、作品をより良くするために行為自体も評価し続けるという2重の構造を持ちます。
「利益」をもたらすコンテンツは、すぐに廃れます。 不況、インフレ、円安などの経済不安から、短期的な利益を求める風潮があっても、真実は変わりません。 人の心を動かすのは「物語」以外にありません。 心を打つ物語を発信する。 時代が求めるのは、イノベーティブなブレークスルーです。