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30歳になるまで知らなかったこと。

深い意味はなく、ただ流し書きするので、流し読みしてもらえれば幸いです。

僕は春が昔から苦手でした。
明確な理由は花粉。
高校二年生のバイト中に突如としてくしゃみが止まらなくなり、それ以来、毎年この時期は使い物になりません。
その昔、春になると顔が真っ赤になり、ティッシュの消費量が増え、就寝中両親の部屋から聞こえてくるくしゃみの音が風物詩みたいで一人自室にて「春が来たのね」ってにんまりしていたのに、いざ自分が花粉の猛威をモロに受けるようになった途端に重度の花粉症である父上のことを労るようになりました。

また、十代の後半に上京したことがある僕は、数々の思い出(良いことも、悪いことも)が春に集中しており、ノスタルジーに拍車がかかるのでこの季節が苦手でした。今もか。

確か、2014年の5月辺りに勝手に挫折して帰阪したはず。
夜行バスに一晩中揺られて、これからの自分にただ絶望して、上京して以来会ってなかった父親や母親に会うのが怖くて、それでもバスは天王寺に着いてしまって。
6時台にバスを降りて、そのまま勘だけを頼りに新今宮まで歩く。(そう遠くない距離なのに、方向音痴と気持ちの重さが足取りにまで重りを付けてしまって)

いざ新今宮まで到着したかと思いきや、地元まで帰る資金もない。(東京帰りとは思えない無鉄砲さ)
「そう言えば黎ちゃんは大学に行く途中かも」
と、連絡すれば案の定、心優しき親友は500円玉だけを届けに改札まで来てくれました。
こういうことって忘れないものだわって書きながら思う。

地元の駅に着き、実家まで歩く。
案外近いのですぐに着く。
既に引っ越し業者が作業をしており、僕を見つけた母が「あたしがやっとくからあんたはカレー食べ」と言い残し「服くっさ!どんな生活してたんよ」と憎まれ口を叩きながらも普段通りだった。

一年半ぶりの我が家のカレー。
盛大に迎えてくれたのは祖母。

「よっちゃん!お帰り!温まってるから食べ!」

食べ始めたら涙が止まらないんだな、これが。
わざと目線を上にあげ、涙に気付かないふりをしてくれる祖母。
温かいカレー。
「これからどうなるんだろう」
「自分ってなんて小さいんだろう」
「祖母も母もなんて優しいんだろう」
たくさんの気持ちが喉をとおり、そして消化されていった。

こうして書いているとぜんぶがいい思い出なんだけど、当時は地獄のように思っていった。
やりたいことが頓挫し、就職という言葉だけがひたすら迫ってくる。
今でこそ現実って言葉、わりと気に入ってるけど、二十歳そこそこの僕にとっては「しんどい」でしかなかった。
この気持ちを忘れない限り、若者と向き合うのは楽しい。
無鉄砲で、虚勢張ってて、プライドだけは高い癖に上手に生きられない若者と相性がいいのは、偶然ではないのだろう。


今年の春も忘れられない出来事がありまして。
それも幾つか重なりまして。
人間として30年もキャリア(?)詰んでたから乗りきれたものの(実際には家族、友人達に甘えっぱなして救われっぱなしでなんとか持ち直せた)、きっと二十歳の頃だったら沈みきって海底に沈んでたな。

まあ、悲しい出来事があったとて、日常は続くわけですよ。
で、日常の見え方が変わってきたなあ。というお話を書きたかったのですが、謎の思い出話が膨らんでしまって、風船で言うと膨張し過ぎて破裂寸前ってとこですなあ。

ここにきて突然箇条書きにします。
グダグタ書いててもしょうがないし。
(自分に逆ギレしてる)

1.恋人たちの数だけ物語があること
独りよがりに生きていた時には、友達の恋愛相談とか乗って「どの口が言うてるねん?」ぐらいの言葉を吐いていたけれど、出会いも別れも、それぞれ一人ひとりにとってはドラマチックで、繊細で、壊れやすいからこそ大事にしなくてはならないもの。
そんな当たり前のことに気付くまで、30年もかかっちゃった。
きっと今まで何人もの人を傷つけてきたんだよなー。
知ったようなこと言って、(相手のためを思っていたとはいえ)正論を捲し立てて、生半可な哲学語っちゃって。
亜美ちゃんにそのことを話したら無言で頭を撫でられましたわよ。
おとなだー。

2.これはヤバい!案件の時には人に相談できる
大体の虚無感や寂しさは一人で乗りきってきたけれど、まあ続いたわけですよ。なんだか悲しいことが。そういう時、職場の尊敬している先輩に朝イチで抱きついたんです。はい、就業前だったので許してください。
その時も抱き締められて頭を撫でられました。
このご恩は仕事で返します。
溢れた時、自分一人ではどうしようもない時は勝手にSOSを出して調節できる。
だからこそ、やるべきことには集中して、仕事帰りに亜美ちゃんと会った際に号泣。
と、いう。
「むしろ案外サバイバル能力に長けているのでは?」と自分で自分がおかしくなりました。
でも、この乗りきり方にはマナーがあると思ってて。
『泣くのは三日まで。それから立ち直った姿を必ず見せること』
ひとの時間をむやみに奪うのは罪なので、きちんと立ち直る。恩返しに向けてまずは自分が元気になる。
この一連の流れがあってようやく成立すると思うんです。

3.わりと真っ当に生きてる
黎ちゃんに言われました。
「よっくん、全人類が感じる気持ちを感じてるんやったら最高やん!!」
自分にとっては悲劇でも、表現する側の人間に無駄な感情などありません。
その言葉で我に帰りました。
すなわち「曲を書かねば!」
悲しみも、絶望も、嫉妬も、羨望も、曲の材料になる。
過去にフィクションとして書いた曲も、実感を持って歌える。
それって「最高!」なんですなあ。

幼い頃に親たちから言われていた言葉がようやく心と体に染み渡ってきました。
「人生に無駄なことなんてない」

綺麗事と言う方もいるだろうし、実際僕もそう思っていたし、要らない苦労はするつもりもなければ、楽して得したい側の人間なんだけれど、否応なしに経験してしまったからにはなんとか栄養にしたい。
ただでは立ち上がりたくない。

最後に4。
自分は本当に周りの人たちに恵まれている。

見返りを求めずにただ寄り添ってくれる人がたくさんいて、一周回ってよく分からなくなるほどには感謝の気持ちが心の底から噴水みたいに沸き上がってます、毎日。
本当にありがとうございます。

よもや海の底に沈む予定が、気付けば噴水みたいに元気よく噴射してます。
人間っていいな。
生きるっていいな。

いつ死ぬかは分からないけれど、なんとかちょっとでも感謝や愛を還元しておこう。
どれだけ取り組んだって、もらい続けてるから間に合わさそうなんだけれども。
諦めないでいよう。

追記:自分のことが好きになれなくても、こんな自分のことを好きでいてくれる人がいる。それは紛れもない事実なのである。

感謝!


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