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【hint.228】動作を動作そのものとして取り扱う

 だいぶお腹の痛みも落ち着いてきつつある。

 食事も、辛さの強いものやあまり多い量を摂ることは避けているが、徐々に楽しんで摂れるようにもなってきた。

 痛みやダルさで集中力を邪魔されないって、こんなに快適なことだったかと気づく。

 いつもよりもゆったりと過ごせていると、途端にいいアイデアや気づきがふつふつと、時にはぴん!っと湧き上がってくる。


 思えば僕は、小さな頃から、たとえばこんな風に文章を書いたり、自分のやっていることを道筋立ててスッキリととまとめたりなどと、なにか「言葉を言葉そのものとして取り扱う」よりも、

たとえば野球をしていて、三遊間へ転がった打球を逆シングルでキャッチして、素早く身体を回転させながら一塁までノーバウンド、あるいは一塁手の取りやすいであろうワンバウンドで送球する、といった一連の遊撃手の守備でのプレーを見せてもらった後に、(ここでは説明の都合上、プレーを言葉に置き換えたが、こんなふうに)言葉としてはほとんど理解をしていない状態で、同じような打球を打ってもらったものに対して自分も先ほどのイメージ通りのプレーをする、といった「動作を動作そのものとして取り扱う」ことの方がとても得意だったことを思い出した。

「どうやったらそんなふうにできるの?」って聞かれても、すぐには答えなんて持ち合わせてなくて、もし何度かそうやって質問されるのであれば、だんだんと自分の「動作」が「言葉」になっていくという感じだった。


 なにが言いたいのかっていうと、僕、この自分の得意な「動作を動作そのものとして取り扱う」という時間を、取り組めるとスッキリすることも知っている「全身運動」といった形ではあまり過ごせてないなって。

 もうちょっと端的にいうと、「スポーツ」あんまやってないなって。そういうことなんですね。

 きっと、「動作を動作そのものとして取り扱う」時間はおそらく自然と過ごしていて、移動中の車や自転車の運転もそうだろうし、結果としてインプットするだけになっている動画閲覧とかも、自分としては同じカテゴリに入ってるんだろうなぁと感じるんだけど。

「この瞬間、このタイミングでこの角度にあれをキメる!」

そういった瞬間が「スポーツ」にはある気がしていて、その集中力というか、全身の統一感というか、そういったハリのある時間もこれからまた過ごせるようにしていきたいなぁって。


 こうやってnoteを書いたりすることって、実はここ3年ぐらい?で好きになってきたことなんだよね。

 これはこれで楽しいんだけど、バランスが崩れちゃってるんだなぁきっと。

 絶対的な身体活動量が足りてないんだなぁきっと。

 おかげさまで体調も回復してきたし、また少し日々の時間の使い方、家族会議で検討してみようと思います。


 ・・・テニスしたいな。

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