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【音楽感想】過去の暴力のシーンから産まれた"返礼"の歌から現在を考えてみる?

いまさら?

今回は一青窈の名曲「ハナミズキ」を聴きながら、2022年5月現在を勝手に考えてみたいと思います。

偉大なる公式様はこちらです↓

おさらい

ハナミズキが9.11のテロから産まれた曲であることは、あまりにも有名です。また、火曜サスペンス劇場、JRA、JR西日本をはじめ、たくさんのタイアップ曲として使われました。

さらには、多くのアーティストによりカバーされているばかりか、本曲をモチーフにした映画も公開されました↓

変わりゆくものと変わらないもの

2001年のアメリカ同時多発テロは、特に敵地から攻撃されたことが少なかった合衆国に強いインパクトを残しました。多くの方が戦争や暴力の悲惨さに胸を痛めていたことでしょう。

もっとも、合衆国からみれば異端の人々たちは、合衆国以上の頻度で、常に他の暴力の脅威にさらされ続けてきており、現在でもまさに生と死の狭間にいる人もたくさんいると思います。

そして、20年以上経った今でも、国家間・民族同士の争い、プロパガンダの応酬、その結果で起こる有名無実の人道的扱いは、人類史が未だに終焉を見ないカオスに陥っていることを痛感します。

とはいいながら、様々な物流ネットワークや通信インフラを通じて、人々がたくさん交流できる環境が構築されました。こうやって、noteで記事を書くこともその一つでしょう。しかし、交流できるが故に生じたSARS-Cov-2をはじめとする公衆衛生の危機も、見過ごすことはできません。

本当に日本も平和なのか?

日本では、幸いにして、第二次世界大戦以降、戦禍に直接巻き込まれたことはほとんどないと思われます。

しかし、人々の暮らしが、現在でも右肩上がりで良くなってきているか?というと、ほとんどの方はNOと答えると思います。

グローバル化という抗えない時流に取り残される弱者、これまでの価値観が否定されることによって生じる悲惨な結末、幾たび襲う災害という名の大自然からの怒りの声…。

もちろん、平和のために、それこそ自身の命をも厭わない方々によって、何とか“平穏"を保てています。この"平穏"もほとんど厚さがない薄氷で成り立っていることは、疑う余地もありません。

一青窈とマシコタツロウが残したもの

こんな状況下ではありますが、ふとハナミズキを聴くとが重要なテーマであることは、何となくわかります。

しかし、の本質とはなんでしょうか?

愛情なのでしょうか。慈愛なのでしょうか。親愛なのでしょうか。博愛なのでしょうか…。

私にも、ハッキリした正答を現時点で見つけることはできていません。

ただ、そんなことはさておき、ハナミズキという楽曲が私たちに与えてくれているもの

それは、人間が本来備えているであろう暖かみの部分に、優しく、そっと、緩やかに注いでくれるものだと、私は考えます。

そこには、対極にある暴力や恐怖、絶望が、自分に、そして他人には如何に無益なものであるということをニュースという現実世界を用いず、言霊に、ベースラインに、メロディに…という形に可視化してくれた産物であるとも言えるでしょう。

100年続く

この歌詞のサビ、

君と好きな人が百年続きますように

もちろん、2人の門出という視点"だけ"で見れば、文字通りの意味で、披露宴会場を後にすればよいでしょう。

しかし、暴力や恐怖や絶望を源流に生み出された真逆の歌詞、このメッセージが2022年5月現在で、これほど貴重であり、これほど必要とされ、そして、これほど蔑ろにされているものはないと、私は考えます。

薄っぺらい感情論かもしれませんが、

君と好きな人が百年続きますように

と思える時間が、ほんの少しでも自分、そしてみなさんと共有できる…そんなひと時にしてくれる時間も私たちには必要じゃないのか?

と殺伐とした実社会に身を置きつつ、ハナミズキを聴ける喜びを味わっています。(了)

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