"いたずらきかんしゃちゅうちゅう"愛にあふれる息子の話。
「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」という絵本をご存知だろうか。1961年初版。昔からある絵本でロングセラー本なのでご存知の方も多いかと思う。
あるところに"ちゅうちゅう"という名の小さな機関車がいた。ちゅうちゅうは普段の自分の仕事が嫌になり、ピカピカのきれいな自分をいろんな人に見て欲しくて駅から飛び出して行くお話だ。
これはそんな"いたずらきかんしゃちゅうちゅう"と息子のおはなし。
うちには男の子が1人いる。今、高校生。
そんな彼の幼少時代。
小さい頃4歳位までは、まぁ、とにかくよく動く子だった。しかも動きも早い。
1分だってじっとしていない。
「もう、こやつの前世はマグロかカツオか。きっと前世の記憶が残っている。きっと止まったら死ぬ生き物だったから仕方がない。」なんて無理矢理、自分を納得させていた。
「男子なんてそんなもん」なんて聞いたりもしたが、今思ってもなかなかの手強さだった。
17年前、産後の里帰りから家に帰るときに、実母がこう言った。
「本だけは子供が欲しがったら、買い与えなさい。それがどんな本でも。図鑑でも漫画でも。」
これ以外、母は我が家の教育について一切口を出したことはない。今以て、この一度だけ。このひとことしか言われていない。
その分、妙に説得力のあるその言葉。
3歳ごろまでは、まだたくさんの本から自分で本を探して、しっかり選ぶなんて出来ないので、買うより、図書館で適当に見繕い、借りる事が多かった。
図書館まで自転車で20分の道のり。
帰り道は息子に加え、絵本10冊ほどを借り自転車で帰宅する。(結構、重い。)
息子、1歳半。色々な本を読んでみる。まだまだ赤ちゃん絵本に毛が生えた様な本を読み終える位の間しか集中は続かない。
文章そっちのけで、二人で絵だけをみて楽しんで終わるのが精一杯だった絵本もある。
それはそれで良いのだが。
しかしある時、数ある絵本の中から息子は一冊の本と出会う。
「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」
いつものように図書館に行ったとき、表紙がよく見える様にディスプレイされていたのを息子が持ってきたのだ。
結構、絵本の中では長いお話の部類だ。文章だってしっかりある。
裏面を見ると"読んであげるなら4才から"の文字。
「幾ら自分が選んだと言っても、1歳後半で普段の様子からいってもまだ息子には難しいかもな。」と思いつつ借りた。
しかし、この本を読むときだけは、彼は爆発的な集中力を発揮した。読み終わるまでジッと聞いていた。
そして、返却日ギリギリまで何度も何度も読まされた。
「そんなに好きならば」と、クリスマスが近かった事もあり、おもちゃのプレゼントと一緒にその本を用意した。2歳のクリスマスだった。
そんな訳でいつでも好きな時に読める「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」が我が家にやって来た。
じっとする息子が面白く嬉しくて、私もねだられると必ず読んだ。
当時、寝る前に本を3冊読む習慣があったのだが、いつもどんな時も必ず「きかんしゃちゅうちゅう」はチョイスされて来た。
そして必ずトリはその本。
飲んだ後の締めのラーメンのように必ずだ。
もう、毎回読まされるので紙芝居屋さんのように次のページを捲りながら次の出だしを言える位、私は"ちゅうちゅう"を覚えた。
ーちいさな まちから おおきな まちまで、 いったり きたり、いったり きたりしますよ」
バージニア・リー・バートン 文/絵
むらおか はなこ 訳
いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう 抜粋
これがラストの一文。
このラストの一文を読む頃合いにウトウトし始める息子。
しかし、うっかりウトウトの段階で「いったりきたりしますよ。」と、読み終わると目をかっぴらき激怒しだす。
このままでは、流れ的に"ちゅちゅう"アンコール突入となってしまう。
残した家事の事を思うと、それは避けたい。
息子にはとっとと寝ていただきたい私。
どうしたものかと考えた末、私は最後の「いったりきたりしますよ。」の"いったりきたり"の部分を延々と繰り返し読むという技(?)を編み出した。
作者のバージニア・リー・バートンさんにしてみれば、文章を改変されるという、大変不本意な読み方である。
でも、ゴメン。
片付かないのよバートン。
育児大変なのよバートン。
早く寝たいのよバートン。
そんな事を思いながら、「いったりきたり、いったりきたり、いったりきたり…」と呪文のように繰り返し、ウトウトから完全に夢の世界へと旅立った息子の顔を確認してから「…しますよ。」と締めた。
こうして、ちゅうちゅうと共に過ごした息子、2歳半、3歳となると、相変わらずよく動きはしたものの、色んな本にも興味を持ち始め、本を読む時は私の膝でじっとしながら聞ける様になった。
息子の本棚には、息子が興味を持ち、欲しがった絵本が並ぶようになった。
そして、小学生になり中学生になり、高校生になり、彼の部屋の本棚からは絵本から徐々に小説や趣味の本、参考書へと埋め尽くされた。
しかしながら一冊だけ彼の本棚には絵本がある。
ちゅうちゅうだ。
もう読まなくなった絵本は隣の部屋の本棚にしまってある。息子は時々その部屋に行き、絵本を広げている事がある。
どうも暇な時、気持ちを落ち着けたい時など、ふと読みたくなる様だ。
そんな姿に少し感動を覚えながら私は見て見ぬフリをしている。
こんな風に、絵本もその他の本もいつだって読める様な環境なのだが、それでも"ちゅうちゅう"は息子の部屋の本棚にずっとある。
彼にとって特別な本なのだろう。
「もう、ちゅうちゅうから離れられない魔法に掛かっちゃってるんじゃないの?」と思うほどに。
2年ほど前、大型ショッピングモールを家族で歩いていると、時々利用するTシャツショップの近くを通った。
ちょっと変わったデザインの多いその店、時々、画家や漫画や絵本のコラボレーションをしている。
うちの家族はちょっと面白いTシャツが好きだ。
新作のディスプレイ台に並べられ、マネキンに着せられたTシャツには、どっかで見た柄がプリントされている。
その柄は紛うことなき、「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」の表紙。
「あー。」と、私が息子に声を掛けようとしようとした瞬間、息子は早足で吸い込まれるようにその店に入り、マネキンに着せられたTシャツの前に立ち、満面の笑みでこっちを見た。
当然のように買わされた。
バージニア・リー・バートンの絵本コラボ商品らしかった。
息子はウッキウキ。今でもそのTシャツを大事に大事に着用し、勝負服の一枚に据え置いている。
やっぱり、もう完全にちゅうちゅうに魔法を掛けられているな。
そして彼の"ちゅうちゅう愛"は止まらない。
高校に入り、英語のリスニングに不安がある息子は「簡単な英語から訓練しようかな。」と言うので、本屋で見掛けるCD付きの英語絵本があるのを思い出し薦めてみた。
ネットでみると案外種類がある。日本では定番の絵本「はらぺこあおむし」から軽い読み物の「がまくんとカエルくんシリーズ」などなど。
息子に「種類があるから自分で良いやつ調べておいて。」と言い渡した。
翌日、息子がニヤリとしながら「買って欲しい」と言ってスマホの画面を見せてきたのは
"英語CD付き いたずらきかんしゃちゅうちゅう"
英文で書かれたお馴染みのちゅうちゅうの絵本。後半には日本語訳も付いている仕様。
「お…おう。」
こんなところにも、ちゅうちゅうが。
駅前の本屋に行くと、「子供英語コーナー」に当たり前のように"CD付き英語版ちゅうちゅう"があった。
案外、売れているのかしら。
学校から帰った息子に渡すと早速、パソコンのある2階の部屋へ行きCDを再生しているようだった。
30分ほど経った頃だろうか。
息子が2階から降りてきて「お母さん!大変や!ちゅうちゅうって女の子やった!!」と報告してきた。三人称がSheだったらしい。
「そうなの?!」
自分の素敵なかっこいい姿を見て欲しくて、飛び出したちょっと自意識過剰boyの"行きて帰りし物語"だと思ってたのに、なんと容姿に自信のある少女が、平凡な日々に嫌気が差し、親の目を盗み家を飛び出して行く話だったとは!(悪く言い過ぎ、例えすぎ)
「…まぁ。ええけど。」と息子はさらりと流した。
アラ、ソウ。まだ魔法は解けていないのね。
それからしばらく息子はちゅうちゅうのCDと英語絵本を熱心に聞いて読んでいるようだった。
勉強というより、普通に楽しんでるデショ。息子よ。
その成果がやたらと、口ずさむようになったちゅうちゅうの鐘の音。"Ding Dong!Ding Dong!"
ウン。良い発音だ。
しかし、それ以外の英語を口ずさんでいるところを見た事がない。
本人は「勉強になってるよー!」とは言っているのだが、繰り出されるのはやはり"Ding!Dong!"のフレーズのみ。
ウン。完全に楽しんでるだけだな。
まぁ、いいんやけど。
私に子供の頃出会った運命の本があるように、彼の運命の本はこの本なのかも知れない。
ちゅうちゅうの魔法が掛けられていると書いたが、たぶん掛かっているのは恋の魔法だな。
ちゅうちゅう、女の子だったし。
女子にブンブン振り回されてるよ!息子!
小さい頃の彼はちゅうちゅうのお話やその文章の疾走感に夢中になり、大きくなった今、息子は「ちゅうちゅうを取り囲む、車掌さんや整備士、運転士さんが堪らなくカッコ良くみえる。」と、また違った大人の読み方を楽しんでいる。
私は同じ本を結構何度も読むタイプだ。
本はその都度、読んだ時、それぞれに感じ方や、何度も読んだから気付いた、歳をとったからこそ初めて意味がわかる事もある。反対に小さい頃に読んだから気付いている事もある。
いつ読んだっていい。読む度に感動するところが違うことだってザラにある。
それは、一般書だって絵本だって、漫画だって同じこと。
母が「本だけは欲しいと言ったら買い与えなさい。」というのは、"読んだ本をいつでも、手に取れるという環境を作りなさい。"と、言うことのかなと思っている。お気に入りの本なら尚更だ。
そういえば、我が家から図書館は遠かったこともあり、本だけは母から沢山買ってもらえた記憶がある。
話は戻って、私も英語版ちゅうちゅうを読んでみようと手に取った。
今更ながらな話なのだが、「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」の原題「CHOO CHOO」。
この「CHOO CHOO」は、「汽車ポッポ」のように小さい子が言う機関車の表現の言葉なのだそうだが、ふと気付いた。
あ。EXILE(もしくはZOO)のChoo Choo Trainの"チューチュー"ってこれか!
"Choo Choo "の表現もずっと前から知っていたが、全然EXILEの曲のタイトルと繋がらなかったわ。
意外なところでアハ体験をした私。
大発見のように息子に「あのさ!!」と、意気揚々と言ったらば、
「今更〜?」というセリフと共に、"シロウトはコレだから困るぜ。"と、言わんばかりの白い目で見られた。
何なのアナタ。ちゅうちゅうの何のプロなのよ?
今更ながら(今でも)ちゅうちゅうに踊らされているような輩に言われるとちょっと腹立つ。
ムカつきながら、ワタシの頭にはキレッキレの動きでChoo Choo trainを踊るEXILEと息子の姿が浮かんだ。
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