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旅路

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儘ならぬ生活と旅
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#エッセイ

夏至の手紙と死と詩

夏至の手紙と死と詩

 手紙を書くとき、書き直す癖をなかなかやめられない。筆跡に表れたじぶんが随分と急かされているようで一度立ち止まった。ぐちゃぐちゃになった近況の要約を丸めて、「深海」とそれだけ書いた。夏至の前日に書いた手紙。いちばん深い場所にいた、死と詩と、そんな話。

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初夏の紫陽花と過去になった街

初夏の紫陽花と過去になった街

 明日は晴れるから絶対に行くなら明日、と念じながら寝たのが日曜の夜で月曜日に早起きをして好きな街に出かけた。少し前に住んでいた場所の最寄駅を通ったとき、あの部屋にはきっと別の人が住んでいるんだろうと思った。振り返ってもなかなかにいい部屋だった。管理人のおばちゃんが住み込みでいて、話し始めたらとまらん感じの気さくなひとだった。ゴミがいつでも出せた。夜どんな時間に帰ってきてもどこかの部屋の明かりがつい

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あたらしい道を歩くための稽古

あたらしい道を歩くための稽古

 昼間に、まだ歩いたことのない道で帰るあそびをした。薄い手提げ袋には、財布とノートと一冊の本。音のない商店街、立ち入り禁止の草むら、家に張り付いた枯れた蔦。皮膚が直に熱を受ける感触があって、空と地面を交互に見てたら、日焼け止め塗ってくるの忘れたことを思い出した。

 歩いていると、何かの条件反射のように思い出すことばかりある。歩きながら当時やたらと聴いていた音楽が流れると、そのとき自分を通してみた

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曇りのち夜

曇りのち夜

 しばらく月も星も見えない夜が続いて、私はあんなにも夜の美しさを愛していたはずなのに朧げな記憶に蓋をしてしまった気がしている。大好きな景色があった、ほんとうは今だって目を瞑れば鮮明に思い出せる。どんなに深い夜でも遠くに光る街が、走るトラックの音が、深夜にふらふら歩いていくコンビニが、帰り道の点滅信号が、まるで夜を揺蕩う切符のようにあったことを。まっくら闇のなかで、自分の輪郭や夜との境界線があやふや

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帰路

帰路

 いつからカメラが重たくなったのか。見えてる景色の色彩が少し薄くなったのか。手を伸ばせば届くあちこちに散乱する言葉に手を伸ばせなくなったのか。なんでだっけって思いながら、なぜか洗濯機の上にある鏡に問いかける。誰しもその人だけの心の領分があるということ、踏み荒らされたくない場所。痩せた地と狭くて暗い部屋。臆病で、想像の中でさえ自分に刃を突き立てられないで、消え入りそうな細い息をしていた。

 ただい

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