曇りのち夜
しばらく月も星も見えない夜が続いて、私はあんなにも夜の美しさを愛していたはずなのに朧げな記憶に蓋をしてしまった気がしている。大好きな景色があった、ほんとうは今だって目を瞑れば鮮明に思い出せる。どんなに深い夜でも遠くに光る街が、走るトラックの音が、深夜にふらふら歩いていくコンビニが、帰り道の点滅信号が、まるで夜を揺蕩う切符のようにあったことを。まっくら闇のなかで、自分の輪郭や夜との境界線があやふやになるほどに浸っても怖くなかったのは、ちゃんと夜が内包する光を知っていたからだった。
いつか忘れてしまえたら、と思うのかもしれない。けれど、脆くても言葉として繋いでおきたいこと。自己すら啓発できない、いつまでも笑い話にできなくたって別にいい。大きく凹んでしまったのならば雨を溜めて、湖になりますように。
気がつけばいろんなものが無くなっていた。抱えきれなくて溢れたもの、途中で捨ててしまったもの、失くしたもの。身軽にはならなかった、体の奥の方にはずっと冷たくて重いものが肺に溜まって、呼吸は浅くなるようだった。生きることと死ぬこと、ぐるぐると考えていた。自分の心のいちばん柔らかいとこ、弱く脆いそこに触れたことはきっときっかけに過ぎず、これからずっと付き合っていくことになるのだろう。
死にたさや地獄のようなものは、自分の内側にあって際限がない。ある日自分をも飲み込む可能性を秘めているにも関わらず、外に出そうとすると途端に霧散する。外の重力に耐えきれないとでもいうかのように。それぞれの不可視なその領分のことを思う。わかるわけなんてない。そこに他者は立ち入れない。それでも想像してくれた人のことを思う。震えた手のことを思う。何度も浮かんだ言葉を思う。それなのにそれなのにと、しょうもない自分のことばかりでいっぱいな自分と、めそめそと泣いていっぱいになったゴミ箱。ひとしきり泣いた後、宿主の驚くほど汚かった浴室を磨いた。朝と同じ食パンとコーヒーを食べた。そして泣き腫らした目で深夜にnoteを書いてた。たよりないタオルケットと丸まった毛布と洗濯物に紛れて深夜3時。どうしようもなくて、儘ならない私。
湖が生まれたら、この場所は愛を返すために。少しづつ生きていく。
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