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「野宿をしながら自転車で日本を横断した話」 6/13 福岡→佐賀 76km

福岡を南下中・・・

今日は長くても5時間ほどしか進まない、ということで8時まで熟睡。同部屋になかなか破壊力のあるいびきをかいている人がいたが、いつも耳栓をしながら寝ているので全く気にならない。

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昨日焼き鳥屋でいただいた鶏飯を食べ、水も補給したところで出発。1時間ほど福岡市から国道3号を南下する。やはり今日も日差しはそこそこ強いが、大雨が降ってくるよりは何倍もいい。

そういえばここ、九州も梅雨の時期なはずなのだが、今のところ一度も雨に打たれていない。このまま旅の終わりまで雨が降らなければいいと思う。が、九州全体の週間天気予報を見てみると、長崎が数日後に雨となっている。大雨にならなければいいが。

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国道3号を通っていると、看板に「鳥栖」という文字を見つける。「サガン鳥栖」以外全くこの街に関して知識はないが、また新しい都道府県を観光できるのは嬉しい。

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信号待ちしていると、「やよい軒」というお店が見える。おそらく西日本で広く展開しているのだろうか。個人的に行ったことがないのでわからない。

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そこからまた30分走り、大通りから抜けて進んでいくと、沿道にあじさいが満開で出迎えてくれる。ここまで多くのあじさいを見たのは、数年前の鎌倉観光以来だろうか。

もう少し漕いでみると、なにやら観光客らしい人たちが何人か見える。どうやら大和朝廷の時代に地方行政を担っていた「太宰府」の史跡があるらしい。

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最近の話で言えば、「令和」の年号の由来となった「万葉集」にゆかりのある場所だ。当時の建物は既になくなっているが、その広大な土地から壮大な規模のお役所だったことがわかる。

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その近くに「太宰府展示館」という建物を発見したので中に入ってみる。

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館内に入ってすぐ、奈良時代の庶民と饗宴の場で提供された食事を再現した展示がある。主菜といったものが全くない庶民の食事。質素に見えるが健康的な食事のように見える。

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それに比べて、饗宴の際に出された食事は数種類の魚介、木の実、一品料理など、まるで食べ切れなさそうな量。この時代の人は、まさか現代の人々がカレーやラーメンなどを食べていることは想像できなかっただろう。

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その後、当時の歌会の様子を再現した模型を見学。

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模型のすぐ脇には、ご丁寧に年号の由来となった「梅花歌」の歌が掲示されている。全く読めない。

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展示館を後にし、そこからすぐの「観世音寺(かんぜおんじ)」へ向かう。

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左右を木々に覆われた中央に本殿があるので、何だか異様な雰囲気。当時は太宰府政庁の庇護下に建てられ、九州の寺院の中心と呼ばれていたそうだ。

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お寺のすぐそばには「国宝 梵鐘」と書かれた鐘があるが、網の扉が完全に閉まっていたので通り過ぎるだけ。


学問の神様」といえばこの場所!

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お寺の見学を一通り済ませ、次の目的地はいよいよ「太宰府天満宮」。学問の神様として広く知られている「菅原道真」が祀られており、毎年多くの受験生が参拝に来ることで有名。

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太宰府駅正面の様子はまるで神社のようで、赤と黒が映えているといった印象。

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駅周辺の駐輪場に自転車を停め、参道へ向かう。

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本殿の方へ向けて歩いていると、お店の前で中国語で話す売り子を発見。よく見てみると、店はあの「コスモス」というスーパーなのにも関わらず、看板が完全に中国語と英語。海外、特に中国からの観光客が多いことがわかる。

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事前に下調べ済みなのだが、やはり実物のスタバ表参道店はすごいことになっている。あの「」がつくほど有名な建築家である隈研吾が設計したらしく、コンセプトは「自然素材による伝統と現代の融合」というものらしい。

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少し小腹が空いてきたので、名物の「梅ヶ枝餅」をいただく。

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香ばしい生地の中にたっぷりのあんこが入っていて美味しい。腹持ちも良さそうだ。

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食べ歩きをしながら天満宮の方へ歩くと、入り口が見えてくる。かなり混んでいるので、とりあえず人が多い方へ向かって進んで見る。

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敷地内の池には噴水もあり、あじさいと合わせてとても綺麗。

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最後に大きな門を潜り、いよいよ太宰府天満宮の本殿が見えてくる。

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改修中であるためか、向かって左側が白く覆われている。全体像を見えないのは残念だが、こればっかりは工事なので仕方がない。

学問の神様ということをすっかり忘れて家族や友人の健康を願う。何のための太宰府天満宮だかわからなくなる。

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その後、社務所で御朱印をいただく。この流れはどの神社に行っても一緒だ。バッグの中に入っているご朱印帳が段々と厚くなってくるのがわかる。

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天満宮のような外観の公衆電話ボックス。こういった景観を崩さない電話ボックスは観光地によって違うデザインなので面白い。

参道に戻ってお店を見ながら歩く。中国、韓国からの観光客が多いような印象。

太宰府天満宮を出発し、近くの公園で水筒に水を補給する。

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1時間ほど進み続け、「佐賀県」に突入。

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途中またコスモスでアイス休憩。こういう暑い日は定期的にカロリー補給をしていかないと体がもたない。

ちなみに自転車を通常のスピードで漕ぐと400〜500kcalを消費するので、今日のように5時間乗り続けると2000〜2500kcalを消費していることになる。

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大通りを抜けて住宅街のような場所を走っていると、何やら沿道の看板に「口蹄疫...」と書いてある看板を発見。これも東北民には馴染みがないが、九州の酪農農家は当時大変だったのだろう。


見どころ満載の「佐賀県」!

そこからまた大通りに出ると、道路標識に「佐賀市」と書かれているのがわかる。Google Mapsをあまり使わないで走っているのでわからなかったが、かなり近づいているのだろう。

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また田舎道を走っていると、「佐賀成田山」と書かれた看板が。西宮の辺りでも一回見たが、どうやら全国いろいろな場所にあるのだろう。

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弥生時代の風景を復元した「吉野ヶ里遺跡」の看板も見えるが、あまりその時代の歴史に興味がないので今回はスルー。

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佐賀市に入ったのは夕方4時ごろ。また大通りから少し抜けて走ると、「大隈重信記念館」という看板を見つけたので寄ってみることに。

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大隈重信の生い立ち、母の教え、早稲田大学創設までの流れ、政治家人生。色々勉強になる時間だ。

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記念館の外に立つ銅像。その奥には大隈重信の旧宅があるということで見学。

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純和風で書院造の内装。こういう家に住んでみたいような気もする。

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そこから「佐賀城跡」の方へ向かう。名前を聞いたことがある程度の「鍋島直正」の銅像が門の前で出迎える。

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城門は大層立派なもので、かなりの貫禄が伺える。

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城跡ということでやはりお城は残っていないが、御殿は復元されているので見学することに。

新しくできたのか、ヒノキのような木の香りが漂う。佐賀城は全く僕の辞書に無い言葉だったが、今回こういったご縁で来れたのは嬉しい。

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御殿を見学した後はまた自転車を進め、佐賀県庁前を通って「佐賀駅」を目指す。

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途中何やら銅像が複数設置されている場所に行き着く。すぐ横にある案内板を見てみると、どうやら「森永太一郎」と「江崎利一」の銅像らしい。

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2人の苗字からピンときた人もいるかもしれないが、お菓子メーカーの「森永」と「江崎グリコ」の創始者で、どちらも佐賀県出身ということらしい。

そのほかにも銅像が色々設置されているが、特に認識する人はいなかったように思う。

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ゴールである「佐賀駅」へ到着。いかにも地方のJR駅といったような雰囲気。

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駅前には佐賀県のお祭りで見られる光景なのか、不思議な銅像が設置されている。

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このあたりの電子マネーはSUGOCAらしい。ギリギリSUICAユーザーの僕からするとなんだか新鮮な光景。

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駅構内を少し歩いてみると、ハウステンボスの広告を至る所で見る。どうやら九州や山口に住んでいる人の中ではハウステンボスが一番有名な観光地らしい。

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段々日も暮れ始めてきたので、ドンキへ行って夕食を買うことに。佐賀県のスーパーも異常に物価が低い。イオンでも味付け済みの砂肝を購入して、フードコートで食べることに。

閉店時間も近づいてきたので、駅近くの公園へ向かう。木々が鬱蒼としている公園なのでなかなかの雰囲気ではあるが、疲れているのでぐっすり眠ることができそう。