一年半ぶりの帰国、母は昨年よりぐんと老いていた【#1日本帰国2023】
3週間弱の日本滞在を終えて無事ミシガンに戻りました。
今回の帰国からデルタ航空の名古屋直行便がなくなってしまったので、羽田からの帰国となりました。まずは新幹線で名古屋に、瀬戸電に乗り換えて最寄り駅まで妹に迎えにきてもらい、母の待つ自宅に。
わたしの家は山の中のど田舎にあります。公共交通機関はないため翌日にはレンタカーを借りに行きました。
とはいえ、田んぼに囲まれた山の中の田舎道を走るだけで、滞在中に高速道路や都市部を走ることはありません。運転大嫌いなわたしにとっては難易度の高いドライブの自信はありません。
大きなクルマは狭い田んぼ道には向いてないので、ガッツレンタカーで軽自動車を借りました。12日間も借りてたったの24,860円ってめちゃ安い!!
最初の2週間は自宅でなるべく母との時間を過ごすよう努めました。約一年半ぶりの帰国ですが、昨年に比べるとずいぶん弱っていることがわかりました。86歳になる母なので加齢と共に老いていくのは仕方がないことなのでしょう。
↑昨年の母とはこんな感じでしたが、このときに比べるとはるかに老いを感じました。
ときおり、認知症来てる??と思うようなトンチンカンなこともありましたが、今のところなんとか自分のことは自分でしながら頑張ってくれています。
キッチンのシーリングライトがイカれてきたというので、新品に取替えました。切れている電球はみんな新しいLEDに付け替えました。エアコンのフィルター掃除を業者に頼んできれいにしてもらいました。
昨年までは元気に庭仕事をしていた母ですが、このごろはしんどくなってきたようです。それでも、荒れた庭が気になっているようなので、数日間かけて蚊に刺されながら庭の手入れをしました。
庭がすっきりしたら、母は満足そうです。わたしも母同様、荒れたままにしておくことがとても気になるタイプなので気持ちはよくわかります。
昨年は夫の他界後、最初の帰国だったので、とにかく遺品整理で火事場の馬鹿力を発揮する滞在でしたから、それに比べれば今年は少しのんびりできています。
合間をぬって、ご近所のお宅に「いつも母がお世話になっています」とお土産を持って回るのも毎度の帰国行事です。
高齢になっていく母を見る度に、毎年、次があるかとちょっぴり不安もよぎりますが、そんな心配をしたからといって時が止まらないかぎり、誰もが人生の終わりに向かって進んでいるわけですから、案じることはしません。
そのときできること、してあげられることをするのみです。
昨年、楽しかったので今回も温泉に連れて行こうと思っていたら、本人が体力的にもう行きたくないといいます。そこで、何がいちばんうれしいの?と聞くと、お気に入りの喫茶店でまったり過ごすのがいちばんうれしいといいます。
そんなわけで、母のお気に入りの喫茶店に何度も連れていきました。ここは父が生きていたときには、毎日のように夫婦で通っていたお店です。
食べたいものをなんでも言ってねというと、鰻と長崎ちゃんぽんだというので地元の鰻屋さんとリンガーハットでちゃんぽんにも行ってきました。😁
信仰心のないわたしにとって、宗教的な行動はあまり好まないのですが、父のお墓参りは母のためなので、供花を持って行ってきました。
おもしろいのは、自分が使っている老眼鏡は四角いデザインなので、丸くて大きめの老眼鏡がほしいと、わたしが到着したときからずっというので探しに行きました。なかなか母の気に入るものがみつかりませんでしたが、たまたまわたしがみつけたのが母のいうのに近そうだったので買ってあげたらばっちり気に入ってくれました。
昔、母もいっしょに行った旅の思い出のアルバムをいっしょに眺めたりして、たしかにあったわたしたちの歴史を懐かしみました。ふだんすっかり忘れている昔の思い出も写真を見ると記憶がよみがえるようで、「あのときは楽しかったね〜」と母。
うちの子どもが小さかったころ、母はわたしたち家族とよく旅をしました。国内旅行にとどまらず、台湾、ニューカレドニア、ハワイ、オーストラリア、サモア、アメリカ……とたくさんの共有できる旅の思い出があります。
ふだん離れて暮らしているわたしにとっては、とてもとても足りない親孝行ですが、今年も母娘の時間を持つことができてよかった。
来年も待っていてね。
こんな時間を過ごしたあと、東京に向かいました。
【#2日本帰国2023】に続きます。
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