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一本の電話から南の島へ/海外移住へのきっかけとなった旅の話

“ぶんげぇむ”参加作品です

お題を見たとたん、わたしの魂は南太平洋のあの旅にひとっ飛び。

これはわたしの人生の一部であり実話です。

長年の空白が突然繋がった

もう四半世紀以上も前になる。家族で西サモアに旅をした。人気の観光地とちがい直行便はなく、子連れには距離も旅費もやさしくなくて、それはそれは一大決心だった。

無理をしてでも強行したのには理由があった。夫が友人との再会を果たしたかったのだ。米国での貧乏留学生時代に苦楽を共にした友だ。長年音信不通だったのに、ある日商用でサモアに行ったという見知らぬ人から「サモア人のマキがあなたを探しているので電話してあげて下さい」と電話が入った。

キツネにつままれたような話だったが、夫の姓名から電話番号案内を駆使し探し当てたのだった。その一本の電話により、奇跡的に連絡が取れるようになり交友は復活した。

お互いが祖国に戻り十数年の歳月が過ぎていた。その間に我が家は6人、マキは7人家族の主となっていた。夫は受話器の向こうの懐かしの友に「行く。きっと行くよ」と言ってしまっていた。

南太平洋の赤道近くの常夏の国に旅する気配がこの一言から始まった。

旅までに電話で数回やりとりした。そのたびに、日本から持ってきてほしいという土産のリクエストは増えていった。小さな南の島の国だけに日本ほど物質的に恵まれていないことが伝わってきた。

マキはサモアの首相秘書になっていた。サモアには住所もなければ、戸別の郵便配達もないというのに、電話が通じたのは政府ビルの中で働いていたからのようだ。いくら小さくても一国の首相秘書なら、「空港には黒塗りリムジンで来てくれるかも」と旅の前には、妄想した。

あれよあれよとサモア行きの運びに

1995年夏休み、大した前知識もなく「ハワイみたいな旅」を想像しながら出発した。家族6人分の大荷持と大量の土産品を担ぎ、4人の子どもの手を引いて、乗り継ぎのためにフィージーに泊まって……と重い、遠いのザ・ガマンの道のりだった。

サモアの空港に着くとマキが待っていた。感動の再会のあと「さぁ、行こう」と駐車場に向かった。車のないマキはトラックを持っている友達のタイを連れて来ていた。赤いトラックの後部座席にわたしと夫と三歳の末っ子、三人の子どもたちは荷台に乗るように言われた。

「えっ? 荷物といっしょに荷台?」

黒塗りリムジンの妄想は、大ハズレどころか、赤トラ、定員オーバー、しかも荷台!!と予想外の展開。これは珍道中になるな、と悟った瞬間だ。

そんなわたしの心配をよそに、夫とマキは空白を埋めるおしゃべりで忙しい。

こんな世界があったなんて……

タイは赤いトラックで“国じゅう”を案内してくれた。住民の大半が住む首都アピアのあるウポル島は、東西に長く横断しても75キロほどだ。とはいえ、トラックででこぼこの道を走るのだから快適ドライブとはいい難い。おまけに、子どもらは荷台なのだから終始後部が気になってしまう。

それでも飛び込んで来る景色といったら、文では表せないほどだった。

真っ青な空にぽっかり浮かぶ雲。ラグーン域にはエメラルドグリーンの海が広がっている。ココナツの実をコロコロくっつけたヤシの木が、空に向かってニョキニョキ生えている。海面に太陽の光がキラキラ反射して、遠浅の海の彼方にはカヌーを漕ぐ人の姿が見えた。サンゴ礁では、水族館にいるような魚の大群がスイスイ、浜を歩くとトロピカルフラワーの香りが風にのって漂ってきた。

楽園という言葉が浮かんだ。

さらに走ると、道路のわきでは若者が魚を売っていた。放し飼いの豚はそのうち食べられることも知らずに優雅に歩いている。繋がれていない犬たちは暑さにへばって横たわり、その横でニワトリが羽根をバタバタさせて飛び回っていた。

色とりどりの腰布を巻いてゆっくり歩く村人の足元はゴム草履。住む家は伝統的家屋のファレだ。土台こそブロックやレンガ、コンクリートでできているが、柱と屋根だけで壁がないので中は丸見えだ。

トラックの荷台には、マンゴー、パパイヤ、たわわに房をつけた枝ごとバナナも積まれていた。「お腹すいたらこれ食べな」と言われたとおり、バナナをもぎとっては食べ、子どもらは揺られていた。

短い旅だったけど、完全にうちのめされた。

大自然と島の美しさ、ヒューマニティー、伝統文化と分かち合い、透き通る海の色、海風の心地よさ、美しい夕日、蒸し料理の素朴なおいしさ、採れたてフルーツのみずみずしさ、スローモーションのような時の流れ……旅を終えるときには、自分が信じていた価値観がゆらゆらと崩れていくことを感じていた。

旅から戻ってからは、それまで当たり前だった暮らしにさえ疑問を抱くようになった。物、情報、しがらみにふりまわされて落ち着かない心、欲望を満たすためにお金に支配される日々……そんなふうに感じるようになっていった。

そして旅から2年後、一家でサモアに引っ越していた。

キツネにつままれたようなあの電話から人生が変わったのだった。


🌴時系列だと👆この旅のあとで👇こちらに繋がります。こんな旅の経験のあとで一冊の本に出合い、さらに移住熱が高まりました。

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