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#6 「洗たくの時間」は安らぎの時間【サモアの想いで】
🌴以下の作品は2007年〜2010年の間に、米国に暮らしながらサモア暮らしのリフレクションを記したフォトエッセイ(全20篇)の転載です。サモアには97年に住み始めたのでこれを記したときはその10年後。そして、今さらに記したときから十数年が過ぎました。
🌺こうした経験からできあがっているのが今のわたしですから、いつ振り返ってもすべての時間が愛おしいです。
🌈こんな人生を与えてくれた夫に心より感謝💗
私にとって、サモアでのいちばん懐かしいときとは、洗たくの時間だったのかもしれない。スイッチポンで洗って乾燥までしてくれる今となっては、「洗たくの時間を失った」と言っても過言ではない。
サモアでは、できるかぎりシンプルライフ、スローライフに挑戦しようという意識を持って暮らした。その結果、日本ではあたり前にあった便利な道具や機器を排除する生活となった。
コーヒーメーカーなどなくてもヤカンひとつあれば、コーヒーは入れられた。掃除機はなくとも、ほうきと雑巾さえあれば掃除はかんたんにできた。炊飯器はなくとも大きな鍋でご飯は炊けたし、電子レンジがなくて困ったことはない。
どっこい、洗たく機がないのは堪えた。家族6人分の洗たく物をバケツに入れてバスタブで毎日手洗いした。洗い、すすぎ、絞り、干すという流れの中で筋肉痛になってしまい腰は痛いし、手はあがらなくなって悲鳴をあげた。
常夏の国だから、洗たく物自体は薄手のものしかない。それでも、シーツやバスタオルを洗って絞るとなるとかなりの重労働だった。あらためて洗たく機に感謝し、洗たく機を持てなかった時代に生きていた人々のことを想った。もちろん、目の前のサモアの人々だって、ほとんどの人は持っていない。
筋肉痛に顔をゆがめながら、これはちょっと厳しいかもと思い始めた頃、痛みはなくなった。なんてことはない、しぼっているうちに洗たく用筋肉がついてきたのだ。それからは子どもを学校に届けた後、朝のコーヒータイムを済ませると鼻歌を歌いながら洗たくというのが日課だった。
手洗いした洗たく物を青空の下でパンパンしながら干す。空を仰ぐと真っ白い雲がぽっかり浮かんでいる。鶏の鳴き声がこだまする。ほのかな洗剤の香りと、常夏の気候の中で咲き乱れる花の匂いとが混じりあい風に運ばれる。
今想えば、私にとってはそれがサモアの懐かしい香りであり、自然を感じる時であり、大切なメディテーションの時間でもあった気がする。
🌴今の声
ゆったり暮らす時間だったからこそ、石鹸やトロピカルフラワーの香りまで意識を持って味わえたのだと思います。ここミシガンでは夏でさえ外に干しません。市内なら外観をそこなうと文句言われちゃうかな……。
🌺 共感、応援いただけるならとびあがって喜びます。 そして、その喜びと感謝を胸に次のどなたかに恩送りします。