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#11 『パパラギ』の舞台ティアベア村【サモアの想いで】

🌴以下の作品は2007年〜2010年の間に、米国に暮らしながらサモア暮らしのリフレクションを記したフォトエッセイ(全20篇)の転載です。サモアには97年に住み始めたのでこれを記したときはその10年後。そして、今さらに記したときから十数年が過ぎました。

🌺こうした経験からできあがっているのが今のわたしですから、いつ振り返ってもすべての時間が愛おしいです。

🌈こんな人生を与えてくれた夫に心より感謝💗


 ロングセラーを続けるこの小さな書物に感銘を受けた読者は多い。一方、昨今では「ツイアビは実在の人物ではなかった」とか、「ツイアビはヨーロッパには行っていない」といったでっちあげ説など、“パパラギ批判”も目に付く。

 今でも時おりページをめくる私にとってそんなことはどうでも良いことだ。大切なのは、自分のだいじにしている本の中で、ツイアビ(Tuiavii)の言葉として語りかけられる数々の名言が、私のなかにどう沁みてどう消化され実になっているかなのだから。

 サモアでは内陸の村をUTA、海沿いの村をTAIと呼ぶ。山沿いから“TIAVEA TAI”と書かれたサインをみつけ、土手から転がり落ちないかと心配になるほどの凸凹道を時間をかけて下りると目の前に海が広がった。入り江になっていて浜はあるが、教会と簡素なファレがあるだけでサモア人でさえ滅多に寄り付かないような小さな村に着いた。そこで人に会い、体験したことは私にとっての事実であり、真実だ。

 この村の牧師夫人がファラ(サモア式ゴザ)を浜に敷いてくれた。並んで寝っ転がり満天の星を眺めた。寄せては返す波の音を聞きながらこの村の当時の酋長(であったろう?)ツイアビの言葉を回想し、ここで生まれ、ここで死んでいく人々のことを想った。自然に身を任せ、こんなふうに一生素朴に生きることができるのなら、それはそれで幸せなことなのだろう。ツイアビが語ったかもしれない、数々の名言がここから生まれたと想うだけで感慨深かった。

※20世紀初頭、ヨーロッパ周遊の機を得たサモア人酋長ツイアビが、西欧文明社会を見、そしてサモアの人々にその様子を語った。その演説を聞く機会に恵まれたドイツ人のショイルマンがツイアビの鋭い洞察力に感銘を受け、ドイツ語で「DER PAPALAGI」として本に著したとされている。その後ドイツ語だけでなく英語、イタリア語、にも訳され世界中で読み親しまれ、日本でも1981年の初版以来、今もロングセラーを続けているという。

2008 Aug. by yahoi 

🌴今の声
『パパラギ』を読んだ人は世界中にかなりいると思いますが、この地を訪ねたことがある人は稀だと思います。サモア人でさえ、行ったことない人がほとんどですから。ほんとうに貴重な体験でした。きっと今日も静かに波が寄せては返すだけの秘境なのでしょう。

こちらの記事でもう少し詳しく書きました。




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